お知らせ つぶやき

1919年のスペイン風邪、のことを調べていたら、

コロナに関連して1919年のスペイン風邪、のことを調べていたら、スペイン風邪で大山捨松が亡くなっていることを知りました。
そうだったんだぁ!
です。
大山捨松というのは、会津藩家老の娘で、津田梅子と同じに、初めての女子海外留学、それも10年!行った人で、この名前はお母さんがお前のことはもう捨てた、と思って諦めるけどやっぱりそれでも待っているから、とつけてくれたそうな。
13歳?
あたりででかけて、ヴァッサー女子大を卒業、英語、フランス語、ドイツ語を自由にあやつり、回転が早く気の利いたジョークをいえ、ドレスを着こなしダンスができる捨松は鹿鳴館の花と呼ばれました。
で、鹿児島藩出身の大山巌に惚れこまれます。
大山は夫人を亡くしたばかりで、家庭内の切り盛りも、海外からの客の接待にも困っていたのですが、そんなことをクリアできる女性が日本のなかにそうそういるはずがない。
ところがこの大山が会津を攻めた一人だったもんで、親戚一同の大反対にあう。
そりゃ敵だもんね。
それをどうか?
といわれ、平然と、会ってみなければわからない、と答えた捨松は一度会い、お互いに気に入ります。
笑えるのは、大山は鹿児島訛りがひどくて捨松はその日本語は聞き取れず、二人は英語で話してやっと話ができるようになったらしい
😁
ということですが、彼女は大反対を押し切って大山と結婚し、津田梅子が大学を作ったときなんかも協力する。
大山氏もすんごいリベラルな男だったんだろうな。
日本にもこんな女傑がいたんだなぁ。
凄いカッコいい、ぜひ大河ドラマにしてほしい三人のなかの一人なんだけど、なぜか知名度が梅子ほどない。

あのとき、男子ではなく女子を!
留学させようと考えたのはだれだったのかねぇ?

せめて、伝記漫画にしてくださいよ、どこかで。