お知らせ つぶやき

私がいた小学校は、

私がいた小学校は、そのときでもすでに100年になろうかという古い学校だった。そのうえ、そのときは千葉市がビッグバンのように膨張しているときで、一番多いときで一クラス53人、校庭にはプレハブ校舎、在校しているあいだに3回小学校が分裂する、という状況だったので音楽室も美術室も教室、三年生になったら借りてもいい、と言われて楽しみに待ってた図書室も開かずの間で、頭にきた私はこっそり職員室から図書館の鍵を拝借して図書館に忍び込んでいた。
古いだけあってそこには英語版のグーフィーの絵本があったり(なぜグーフィー?ミッキーマウスじゃなくて?と思ったね)背中が布装の講談社のシリーズまであった。
それにはもうほかのシリーズからはのけられた「黒いチューリップ」や「ルコック探偵」があって、凄く楽しい時を過ごした。
ホコリが陽に当たってキラキラしてきれいでしたよ、ハイ。
でもその中でとてつもなく衝撃的なことが2つあって、一つは指導要綱で(そんなものまであったのですよ)そこには
“図鑑をみている子どもがいたら、もっと長い文章を読むように指導しましょう”
と書いてあったのだ。

嘘でしょ!?
なにいってんの?!

と思ったが、確かにそう書いてある。
あのさ!
図書館てのは、図と書ですぜ?
日本の教育機関のトップである文部省が間違ってる、なんてことはありえないだろうと私だって思っていたのだ。
なぜこれが間違いなのかはここでは詳しく述べないが(長くなりすぎる)
明らかに間違い、というか、デタラメも甚だしい。

先生がたはこれを信じている?
まさか!?
だって、先生だよ?
先生って勉強教える人なんだから、まさか、こんなデタラメは信じないよね、と思ったが、とにかく文部省がそういっている、というのはとてつもなくショックで、なんというか地震で地面が割れたような感覚だった。
のちに先生がたは信じていらっしゃる、ということがわかり、またまたショックだったが……。

2つ目はローマ時代の話で、文字が入ってくるまでの勉強は暗記と暗誦だったので、教師というのは暗記術を教えることだった、という話である。
やがて文字が入ってくると、みんなが文字に頼って覚えなくなる、と、その先生がたが文字の排斥運動を起こした、という話である。
それがどの本に書いてあったのか全然覚えていないのだが、まさか、夢だったということはないと思う。
これまた衝撃で、今の文化はひとえに文字の賜物である。
文字がなければここまで早く発展できなかったに決まっている。
それをダメだと教師が言っていた?!

いまの私の根底にはこの2つのショックが基本としてあるのだろうと思う。
当時はただただショックなだけで、それがどんなふうに自分の人生に影響してくるかなんて、考えもしなかったけど。

その後も、コンピューターができたときに、公共図書館の司書たちが図書館にコンピューターを入れない運動、を始めたときもショックだったが、そのときは、ローマ時代の文字排斥運動の下地があったから、その時ほどは動揺しなくてすんだ。

で、今回のchatGTPだ。
正直、またか!?
である。
人間は一度知ってしまったらやめられないのだ。
人間は動物のなかで唯一、見たい、聞きたい、知りたい、という、とてつもなく強力な情動に突き動かされる動物である。
原爆だって水爆だって、やったらどうなるんだろう?
を、知りたくて知りたくて我慢できなかったのだ。
それで何十万人が死のうとも……。
アメリカ人だって死んでるのに。

いまさらchatをどう止めるのだ?
使うなって言っても使うでしょうよ。
学校の中だけは止められるかもしれないが、それやってなにか意味があるの?

もし、それでなにか悪いことが起きるなら、それが起きないようにセッティングを考えるしかないのだ。

確かにGPSを使うようになったら、道を覚えなくなったと思う。
便利な方に流れるよね。
でもそれは、いざというときには使えるように、何回か地図の見方etcを訓練すればいいだけで、普段は使うしかないでしょう。
少なくとも他人に使うな、とはいえない。

chatGTPが宿題の答えを教えてくれる?
そんなのは
たくさんある答えの中のワンノブゼムに過ぎない。
友だちとセッションするときのように、一つの意見であって、それも一つの材料として使って、自分の意見を作るというやり方を説明すればいいだけじゃないですか?

AIであれ、友人であれ、他人の答えを丸写しして出すこと自体、カンニングであり、承認できない、といえばいいだけだ。

もし、chatが書いたのか、本人が書いたのか、区別がつかないとしたら、その教師はその生徒を日頃見ていない、ということになるんじゃありませんかね?

歴史は繰り返す。 誰だって新しいもの、見たことのないものは怖いと思うのは当然だと思う。
でも、なにか新しいものが入ってきて不安になったときは、私はこのローマと文字の話を思い出すようにしている。