かん子の連載

ペトラの有名な大神殿は、

ペトラの有名な大神殿は、50メートルほどの岩山の片面を切り崩して切り出したものである。
なかは、長方形の広間で、小学校の教室四つ分くらい?(すいません。ちゃんと調べてないもんでテキトーです)
外側は壮麗だが、なかは簡素なのだそうだ。
もっともそこにインドの石の城で見たように、タペストリーをかけ、絨毯をしきつめ、花を飾り、石像や金の壺とか並べれば美しくなるだろうから、当時は美しかったのかもしれない。
食事をした、といっていたから、テーブルも椅子もあったのだろう。
少なくともテーブルはーー。
前々から、それをどうやって作ったのか、が謎だというのは聞いていたけど、崖の上から職人を縄で吊るして、というのを読んで、まさかぁ、と思っていた。
そんな体勢で石が切り崩せるはずがないもんね。
人間はもっともっと楽で簡単な方法を考えたに決まっている。
とつねづね思っていたところに、ナショナルジオクラフィック(テレビのほうですよ)でやっていたので見たら、なんと、それを解明していたではありませんか!
測定器で測ってコンピュータで細かいところまで再現したところ(人間の目には見えないところまでくっきりはっきり見える)建物の両側に、まるで着物の振り袖のように残っている両翼に、階段の筋があったのだ。
両方に、平行にー。
ということはつまり、まずてっぺんにのぼって、建物のてっぺんと、一番上の階段を掘り、あとは同じようにして掘り下ろしていったのだろう。
これなら足場はしっかりしているし、作業も早いに違いない。
でもって、余分な両翼は崩し残ったというわけだ。
地下探査機も使ったところ、あの神殿の階段は途中から左右のゆるやかな階段に別れていた、というのもやっていた。
人間は本当に、調べる機械を手にいれたのだなぁ、と思う。
と同時に、それだけの仕事をしたからには当然設計者や現場監督がいただろうと思う。
職人もね。
紙も文字もなしで、それをどうやってやったのか……。
文字があることはつくづくありがたいことだと思う。
称えようにも、その建築家(偉大な人物だったのだろう、少なくとも建築的には)の名前もわからないのだから……。