かん子の連載

篠原さん情報です。

篠原さん情報です。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「テンプル・グランディン―自閉症と生きる」サイ・モンゴメリー著  汐文社  2015年
が良かったです。

marinonnette.at.webry.info/201608/article_2.html

『タイム誌の「世界で最も影響力をもつ百人」にも選ばれたテンプル・グランディン。
 動物愛護活動家として、同時に食肉処理施設の設計者として、その活躍の様子は映画(エミー賞受賞)にもなりました。
「自閉症はわたしの一部なのです」と語るテンプルは、どんな子どもだったのでしょうか。
 二〇一五年度IBBY障害児図書資料センター推薦図書。』(カバー見返しより)

というわけで、読み出したわけだが、とても考えさせられる本でした。
児童書だけど、むしろ親や子どもに関わる大人が読んだらいいんじゃないかな。

「自閉症」や「ADHD」と「診断」」される子ども、
診断されるほどじゃないけど、ボーダーと認識される子ども、「育てにくい」「学校生活に不適合」と言われる子ども、そんな、困難を抱えている子どもにも、その親にも、ぜひ読んで欲しいと思う一冊です。

個人的に面白かったのは、
9章の冒頭
「チャンスがテンプルを待ちかまえていたのは」
という言葉。(P142)

普通「チャンス」と言えば
「チャンスの神様には前髪しかない」ということわざがあるみたいに、こちらが待ちかまえていて引っつかんで離さない、というイメージですが、ここでは、チャンスのほうがテンプルを待ちかまえていた、というのです。
テンプル・グランディンという人の「特異さ」がきわだつ、面白い表現ですね。

それから
「テンプルは設計の分野で価値ある発明をいくつもしましたが、そのほとんどは自閉症なのにできたことではなく、自閉症だからできたことでした。」(P156)も印象的。

「テンプル自閉スペクトラム症の子どもたちへのアドバイス」(P174~)も素敵。

「世間では、社会性がひじょうに重視されています。
でも、わたしたちがいま、コンピュータや電気をつかえるのは、あまり社会性があるとは言いがたい”技術屋”のひとたちがいたからこそです。」
という指摘には、なるほど確かに!
とうなずいてしまいました。

テンプル自身の葛藤や活躍も、もちろん面白かったですが、彼女の存在によって浮かび上がる社会や現実、
それを照射する彼女独特の光の当て方、解決への取り組み、などなど、たいへん考えさせられる内容でした。

特に
「人と違う」
ことのとらえ方、何を病気・異常とするか、ということについてのコラム(P92~)は、とても勉強になりました。
そのコラムでは、こんな例が紹介されています。
『現在の心理学には読み書きの苦手な子どもを指す用語「ディスクレシア(難読症)」があるが、ほんの150年前には、ほとんどのアメリカ人は字が読めなくて当たり前だった。
今日では「多動」のレッテルをはられるような子が、1800年代には元気のいい子だとほめられた。』

『奴隷制廃止以前には
「ドラペトマニア」
という病気があると考えられていた。これは精神病であり、この病気のせいで奴隷たちは逃げ出そうとするが、治療によって奴隷たちは健康な精神状態にもどって、奴隷として働くことを受け入れる、と主張した医者もいた。』

病気は時代による、ということですね。
名付けられないから「ない」ことにされて、傷つくこともあるし「症状」だと認められて、適切な治療やケアを受けられることもあります。
でも「病気」とレッテルを貼られて「正常な」人々から、差別され締め出されることもあるわけです。

いろいろ多方面から考えさせられる一冊でした。
ぜひ、お読みください。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆