かん子の連載

道尾秀介の「ラットマン」を読んだ。

道尾秀介の「ラットマン」を読んだ。
道尾秀介はうまい作家だ。
文章は練れていてよどみなく、楽々と結末まで持っていってくれる。
これもとてもよくできた作品だった。
でも、この本で一番おおっ、と思ったのは、ラストの大沢在昌の解説だったんですね~。
大沢在昌は道尾秀介の書く作品は大好きだが違和感がある、と書いている。
そうしてその違和感は、自分の書く作品の主人公たちは“熱い”が、道尾秀介の書く作品の主人公たちは“平熱”で決して熱くならないことだ、と……。

確かに……。
大沢在昌の主人公たちは熱いですよね(笑)。
思いっきり。

そうして
“その違和感を、まるで感じない人が”
いて、でもそれは
“日本のある年代の人々をごく自然に描いていて、しかしそれが確かな日本人の変質を表している”
のだ、と……。

確かに……。
いまの20代、30代……熱くないですよね?
というより、そういう人を見たことがない、のでそういう世界がある、ということをそもそも知らない、というような感じで……。

賢いし、感情に乏しいわけでもない。
冷静で ちゃんと有能で……。

私なんか、ときどきまるで動物園の動物を見るように見られているな、と思うことがある。
ええっ?
という若干快い驚きとともにこんな生き物がいるのか……とでもいうように、まるで珍獣を見るように面白がって眺められてるんだな、これが……。

まあそれはさておいて……。

この“解説”がここしばらくのあいだで一番腑に落ちた文明批評でした。

でもってねぇ……。

いまの小学生もそうかというと、それがまた違うような気がするんだなぁ……。
だって先輩たちがやっちゃったことを、あとからくる人たちはできないでしょう?
結果はわかっちゃってるわけだから……。

20代30代は“見えた”からいま文庫が乱立してるんだと思う。
でもそれに、イマイチ10代は乗ってきてないよね。

そして10代とも小学生は違うんですよ。

小学生……まだ方向性、見えないです。
どっちに向かってんだか……。
案外ぐるっとまわってもとにもどってるかもしんないねぇ。