かん子の連載

【赤木かん子還暦おめでとう企画】 1 赤木かん子の思い出

1 赤木かん子の思い出

大学時代、私はひたすらバイトに明け暮れていた。
学費も生活費もほとんど全部自分で払っていたので、いくら稼いでもおっつかなかったからである(まあ、それはいまでも変わっていない。この30年間、お金があったことなど一度もなかったから)。
おまけに、いくら稼げるか、ではなく、やってみたい仕事、メインで仕事を選んでいたので潤沢な稼ぎにはならないことが多かった。
本関係はどこも安い……。

そのなかで特に印象的だったというか、いまでもはっきり覚えているのは、出版社の○○社の前を通りかかったときに倉庫のバイト募集……の張り紙があったのでやりたい、と入っていったところ、小柄でいかにもやりて、そうな女の人がぜいぜい言いながら本を積んでいるところにぶつかった。
ずっと後になって、そのかたが、たぶん社長さんだったんだろうな、ということにようやく思いいたったが、仕事したいんです、というと一瞬は喜んでくれたのに、大学生である、といったとたん、じゃ、うちはダメ、とけんもほろろに断られてしまったのだ。

うちは高卒しかいないから大卒の人をいれるわけにはいかないの、といって……。

その上その人は、せっかく来てくださったのにごめんなさいね、といって、いきなりはだかのまま、一万円札を一枚私に押しつけたのである。

当時の一万円は大金だった。
渋谷のジャンジャン(地下劇場です)でやっていた、シェークスピアシアターのチケットが千円だった時代である。

もちろん私は仰天して、いいですいいです、もらえません、といったのだが、彼女は申し訳ないことをした、いいからとっておきなさい、といって無理やり私の手のなかにそのお札を突っ込み、呆然としたままの私を外に押し出した……。

というわけで私は五分でなにもしないで一万円稼いだわけだけど、しばらくその前のガードレールに腰かけて呆然としていたのを覚えている。
学歴がないから雇えない、というのならわかるけど、あるから雇えない、という世界もあるんだ……というのは私にはものすごくショックだったのだ。

もちろん、私のどこかに気に入らないところがあったのでそういったのかもしれないが、それならごめんなさいね、もう埋まっちゃったの、といえばすむ話だ。

そう考えると、この40年の日本の変化はすごいことなのかもしれない。
今の出版社なら、逆に大卒じゃない人のほうを探すのが大変だろう。

あのときあそこで雇ってもらえてたら、私の人生もちょっと変わってたかもしれないなぁ、と今でもたまに思うことがある。

彼女はもういらっしゃらないが、いまの社長さんにでも、あの一万円を、いつか返しにいこうと思っているんだけど……。

30年も前の話である……。