かん子の連載

【赤木かん子還暦おめでとう企画】 17 ターニングポイント

17 ターニングポイント   by 朔ツグミ

かん子さん60歳になるのね……ってことは、初めて会った時から丸25年経ったって事なのでビックリ……。

私が初めてかん子さんに会ったのは12歳の時……。
小学校を卒業して、中学に入学する年の春休み、母にかん子さんの講演に連れて行かれた……。
本を読むのは好きだったけど、かん子さんの事は知らなかったし、正直あまり気乗りしなかった。
だから、講演中もほとんど本を読んでて、時々興味を持った部分だけ聞いてたから、これっぽっちもかん子さんに声かけてもらえるなんて思ってなかった。
講演の日の夜、かん子さんを囲んでの食事会に母が参加していて、その時にかん子さんの方から
「朔さんところの妹のほうと話がしてみたい」
って言ってくれたのがつきあいの始まり。

私は
右半身に障害があって、足を引きずって歩いているので全体のバランスがいつも悪いし、右手は思うようには動かないからほとんど左手だけで生活している。
だからか、私の記憶の限り保育園の時から、イジメも差別も嫌がらせもあったけど、中学に入学したら本当に大変で、
まず、クラスメイト全体からの無視が始まり、陰口、悪口、髪を引っ張る、足を引っ掛ける、物を隠される…子どもだけでなく、担任をはじめとして数人の教師からも
「あなたがいなければいい」
「なんで特別支援学校の子がここにいるの?」
的な事を日々言われて入学して2カ月、6月には不登校にーー。
今まで何年もガマンして気持ちも身体もコントロールしてきたのに、突然できなくなっちゃって今にして思えば自分の状態にパニックだったと思う。

学校では
「おとなしく学校にさえ来ていればいい」

「おまえがいるからクラスや学年が上手くいかない」「障害者は障害者らしくしていろ」
と言われ、親は
「家にいないで学校に行け」
と言うし、特別支援学校を見学しに言ったら
「あなたみたいに動ける子に来られたら困る」
と言われるしで
『私はどうしたらいい?私の居て良い場所はどこ?』ってなってた。

そんな時期にかん子さんが繰り返し伝えてくれた事が「ツグミが居たい場所が居て良い場所だよ」
「学校なんてたかだか600人くらいの集団、そんな狭い中で、友達いなくても変じゃないし、歩いて行ける範囲の狭い地域の中で、居心地の良い場所なんて、なかなかないよ。そんな狭い世界で苦しまなくていい。」
繰り返し繰り返し事ある事に、色々な話の中で、貸してくれた本を通して…時間をかけて私に届くまで諦めずに伝えてくれた言葉……。

かん子さんの言葉が届かなかったら多分、私は今こうして生きてないだろうなあ…って思うよ。

今の私には
「私の居場所」
あるよ。
大切な言葉を届けてくれて、本当にありがとうございます!