かん子の連載

【赤木かん子還暦おめでとう企画】 33 かん子さんへ 

かん子さんへ   by 佐賀 北島

かん子さんが60歳になった。まだなってない!と、また言われそうだけど。
還暦と聞き、そうなのね。私と8歳しか違わない。
「違うよ、8歳もだよ」
と言いそうだが……。
あの服装、髪形、喋り方から考えて、これまでかん子さんは、私よりずっと若いと思っていたけど。
「なんだか、発声が悪い」と言われたときは、あとで副鼻腔炎になっていたことが判明した。
二人の話題も、お互いの体をいたわる言葉で終わることが多くなった。

 さて、かん子さんからメールが来た。
かん子さんが、私に発した言葉で印象に残っていることを書いて送って、とーー。
私は言葉よりも、かん子さんが私にしてくれたことのほうを鮮明に覚えている。そのことにするよ。

ということで、書き出すと、そうだあんなこともあったなあと次々に浮かんできた。

かん子さんとの最初の出会いは、朝日新聞の家庭欄に「本の探偵」とかん子さんを紹介した記事。
「本の探偵。へーすごい人がいるんだなあ」
と,新聞を畳の上に広げて読んでいる私を思い出す。
かん子さんに
「あれはいつのこと」
と聞くと
「30年前」と。

かん子さんのオフィシャルサイトのプロフィールにこう書いてある。
“児童文学評論家。長野県松本市生まれ、千葉育ち。法政大学英文学科卒業。1984年に、子どもの頃に読んでタイトルや作者名を忘れてしまった本を探し出す「本の探偵」として本の世界にデビュー。”

私が34歳の時で、まだまだ、おはなしのおばさんをやってない頃。

その後、本の探偵・かん子さんが頼りになった。
小さな町の図書館・三日月町図書館館長をやってた時、利用者の方から
「こんな主人公で、こんな話の本ありますか」
と質問を受けたが、どうしてもわからない。
そうだ、かん子さんだ!
本の探偵さんに電話をかける。
いつものように
「はいはい、なあに?」
「あのね」
と利用者の方が言った言葉を伝える。
するとその場で
「ああそれは、ディズニー。もうひとつは日本神話」いとも簡単に答えてくれた。びっくり。
 いつ、どういういきさつで、このような仲になったのかは、全く覚えてない。思い出せない。
かんこさんは仕事先から「みかづき」と関係したものを、ぼんぼんと送ってくれた。
今も図書館に飾られていると思うけど。
きっと高かったであろう、三日月の下でウサギが餅つきをしている漆塗りのものから、ホームセンターにあるような三日月形のクッションまで……。
嬉しかったなあ。
小包の中には、手紙は入ってない。
ポンと寄こすのである。

ある日
「ねえねえ、おおきなテディベアいる?いるなら送るから」
とかん子さんから。
2万円したと思う。
図書館にはそんな予算はない。どうしようか。図書館の応援団で友人の男性たちに、ひと晩飲みに行ったと思えば安いもんやろう!と寄付をしてもらって、テディベアやゾウさんぬいぐるみなどを買った。
テディベアは中学生男子のお気に入り。
彼らよりも大きいテディベアに腕を回してダンスをする。
気分がむしゃくしゃしていたのだろうか、クマさんのおなかをぼんぼん殴るいやつもいる。
「痛いよーー」
というと、落ち着いたのかクマさんの定位置のベンチで二人並んで座っている。

その後、女性センターの副館長になった。
ある日、受付の職員がおずおずと
「あのー、あのー副館長さんのお友達という方がおいでになっていますが」
と言ってきた。
受付に行ってみると、派手な色の頭とTシャツのかん子さんがいた。
頭の色はエンジだったと思う。こりゃあ、びっくりするわ、佐賀では、金髪は時たまいるけど、エンジ髪はいない。
「怪しい人が来たみたいに言われたよ」
「友達って言ったもん」
と、二人で大笑い。

その後、かん子さんが九州に来れば温泉に二人して泊まったり、私が東京に行くと、面白いものを見せてくれた。
東京に行った時の思い出はたくさんある。
「今度行くよ」
と電話をすると、私に役立つ門を用意してくれてる。
シルクドソレイユのチケットを取ってくれた。いやあ、すごいものを見た。エロチックだし、ピエロは洗練した笑いを見せる。緊張してみた。
「先に出るね」
小さな声。かん子さんは
「じゃあね」
と言って翌日の仕事先の東北に旅立った。
残された私は、シルバー券でナイトディズニーランドを見学した。
ばあばが一人でパレードを見ているのも
「なんだかなあ」
と思いながらホットドッグをほおばりながら、見て回った。楽しいちょっと寂しい思い出。

日本橋の三越に連れていかれたこともある。デパートの建物をプレゼントの箱に見立てて、赤いリボンで飾っていた。図書館の建物に同じように飾るのは無理。よし、新刊本を展示する大きなテーブルに、同じように大きな赤いリボンをかけた。
「わ―、これが私たちの図書館のクリスマスと!」
とお母さんが感激していたっけ。

かん子さんの事務所の四谷に行ったときは、四谷怪談のお岩神社に夜連れてかれた。どこに行くのか言わず「お岩神社。ほら」
と玉垣を示して
「歌舞伎役者の名前があるでしょう」
と指さす。怖かったなあ。

こんなこともあった。
かん子さんに連れられて歩いていると、踏切手前の少し高くなったところに立って
「こっちだな!」
「わかるの?」
「うん」。
こちらはなにがなんだかわからん。いまだにわからないが、この時の背伸びしたかん子さんの姿もくっきりと覚えている。
一番最近はムーミンカフェに行ったね。待ち時間が長かったが二人でおしゃべりしていたら、あっという間だった。大きなムーミンが席に来てくれた。
こんないっぱいの思い出を作ってくれてありがとう。

終わりと思ったら、もう一つ思い出した。
図書館について大事な思い出を忘れてた。
分類を利用者
「特に子供たちにわかりやすく」
するように教えてくれたのもかん子さん。
赤ちゃんから年齢別、内容別に展示して大好評だった。
わかりやすいシールもかん子さんがそろえてくれた。
夏休みの読書感想文を忘れた子どものために、大きな字の本というコーナーまで設けた。
当時観光で訪れたサイパンの図書館で、恋愛ものにはハートのシール、かの国にとっては時代劇かなと思った西部劇のところには、カウボーイブーツ?
ウエスタンブーツ?
のシールが貼られていた。
発想が同じ……。
嬉しかったなあ。

かん子さんこれからも、おもしろいこと教えてね。そして元気でいて、80,90歳まで二人して、遊んで美味しいもの食べようね。