かん子の連載

【赤木かん子還暦おめでとう企画】 39 楽になったことなんか

楽になったことなんか   by 長野県富士見高校学校司書 猿橋広子

かん子さんからこんな原稿依頼が来たよ、と言ったら、「楽になったことなんてあるの?」
と娘たちから突っ込まれました。かん子さんに「ザ・子ども」と評された自慢の二人も大きくなって高校と大学の受験中。ともに図書委員ですが、「かん子さんからは髪の色で人を判断してはいけないことを学びました」だそうです。
もう30年くらいのお付き合いになるでしょうか。かん子さんの話を聞いて楽になったことなんかありません。「司書がだめだからだめ」「センスがない」「自分の分類ができなきゃいけない」「掲示は景色になったら意味がない」近年は、論破するより伝えることを重視するようになったご様子ですが、お若い頃の否定形断定のご託宣に、私もだめかな、センスないかな、と、悩む。確かにかん子さんは凄いけれど、こっちにだって正規の学校司書としてやっている自負もあって、「かん子さんはそう言うけど、この場合はチガウんじゃない。」と、しかし、実際には反論できないで自問自答する。どうやって楽になれと言うのだ。
それでもかん子さんに会いたくなるのは、かん子さんが図書館とニンゲンを好きだから。「本がたすけてくれるからだいじょうぶ」という場所としての図書館を作ろうとしているから、でしょ?
とすれば、とテツガクの猿は考える。普遍的な目的があるなら、そこに向かう道はさまざまでよいのではないか? 目指している図書館があれば、やり方はいろいろあっていい。かん子さんが言うとおりにしなくても、図書館ごとに自分流に応用すればいい。最後の学校に来てようやく悟りに近づきました。
自分の棚をつくる。というかん子さんの言い方を、分類を超えたレイアウトとか、独自の分類として聞いてきたけれど、いくつもの図書館を経験して、単純に選書の問題なんだなと思うようになりました。新しい職場に赴任して「あ、こういう本もあるのか」と気づくとき、「この分野もない、この本もない」と思うとき、私は自分の棚を作れてきたかな?と振り返ります。
ためになったことは「かん子さんに叱られないように」じゃなく、「かん子さんに突っ込まれたときどう反論できるか」考えながら仕事ができたこと。かん子さんがああ言った、こう言ったというのではなく、保守的でも先鋭的でもある「赤木かん子的図書館論」は、自分の一部になってしまっているのではないかと思います。