かん子の連載

【赤木かん子還暦おめでとう企画】 44 赤木先生のことば

赤木先生のことば   by 林 優記

私事の話が多くなってしまいましたが、読んでいただけたら幸いです。

僕はLGBTのT、トランスジェンダーのFtMです。
わかりやすく言うと「性同一性障害の、体は女性だけれど心は男性の人」です。

赤木先生とは高校生の時に出会いました。母校の図書室(ともいえるか謎なレベル)を快適で使いやすい図書館に改装していただき、そのお手伝いをしました。その後も各地の学校の図書館改装や司書講習に参加せていただいたりしました。そんな中で赤木先生のいろいろなお話を聞き、僕自身が救われた経験をここで紹介したいと思います。
前述したように、僕は性同一性障害の当事者として生まれ、体の成長や心の在り方についてたくさん悩んできました。最初の違和感は5歳のときでしたが、本格的に悩み始めたのは小学5年生、11歳の時からです。中学2年生の冬から不登校になり、高校は不登校児を受け入れているところへ入学しました。
小さなころから「本当の自分ではない、女の子としての自分」を周りから肯定されてきたせいか、「男としての自分」への自己肯定感が低いです。
そんな中で赤木先生と出会い、色々なお話を聞き、少しずつ自分を肯定できるようになりました。

赤木先生のお話を聞いてきて特に印象に残っているのが「一つの視点から物事を見ないこと」「“正しい”“常識”だと思っていることを疑ってみること」です。
赤木先生のお話は図書館改装や司書講習で聞く機会が多かったので、おのずと内容は小中学生の子どもたちのための話になります。
大人にはこう見えるところが、子どもたちにはこう見える。そうして語られていくのは子どもの視点に立った世界の見え方でした。まだ少しだけ思い出せる小さなころの世界の見え方と、先生の話す世界は確かに一致していて驚いたのを覚えています。子どもたちに真摯に向き合って寄り添って話を聞くからこそ、その視点で世界を見ることができるのだと思います。大人の視点から見た図書館ではなく、子どもたちの視点から見た図書館が出来上がっていく過程は何度見ても驚きと発見の連続です。

また、それとは別にプライベートな話もたくさんしました。僕は性同一性障害のことでよく悩んでいたのでそれについての話が多かったのですが、その中でも「自分が自分に偏見を持っているんじゃない?」という言葉は印象に残っています。
まるで頭の上から氷水をかけられたような衝撃を受けました。でも確かにその通りで、社会の偏見以前に自分が自分に偏見の目を向けていたことにそう言われて初めて気がつきました。色々なことで頭がいっぱいになって雁字搦めになっていたところにその言葉。僕の中の世界が大きく変わった瞬間でもあります。
自分自身が偏見の目で自分を見ていたことに気付いたことで、自分への攻撃を止めることが出来るようになりました。
世間一般で正しいと言われていることや、常識だと思われていることが必ずしも正論であるとは限らなくて、僕はそういったことから外れている人間だと思っていることがそもそもの間違いだったことに気付かされました。
確かに冷静になって考えてみると、世間一般の正しさとか常識といったものが本当に正しいのかなんて誰にもわからないですよね。
「この世には男性と女性という2種類の人間しかいなくて、男性は女性を・女性は男性を愛するもの」というのが世間の意見みたいなのですが、たとえば僕をこの定義に当てはめようとすると意見がわかれます。後半の部分は異性愛だけを取り上げていますが、実際の世界には異性愛者だけでなく、同性愛者もいれば、両性愛者の人間もいます。そもそも恋愛感情を抱かない無性愛者だっています。それなのに世間の“常識”というものは数の多い人間のことだけを指すのです。言わば多数決で決められているようなものです。
でもそういうことって、色々な場面で遭遇しますよね。そして知らないうちに固定観念にとらわれていくんです。
そんな中で赤木先生の固定観念にとらわれず、色々なことに色々な視点から目を向けて日々突き進んでいる姿はまぶしくもあり、同時に目標や理想になりました。
これからもそんな赤木先生のお話を聞けたらなと思います。

うまく言葉にできているか心配ですが、赤木先生との交流を通して僕はたくさんのことを学びました。
その一部でも読んでくれた方に伝わったらうれしいです。