かん子の連載

【赤木かん子還暦おめでとう企画】 94 奇跡のターニングポイント

奇跡のターニングポイント   by 学校司書 K

かん子先生の御著書と出会ったのは、息子が通っていた小学校の図書ボランティアを始めた時でした。  司書教諭N先生と保護者で当時高校の学校司書をなさっていたIさんのコンビが素晴らしく、かん子先生の御著書を参考に、図書室改造が行われていきました。イラスト分類シールは購入できなかったので、代わりに棚番号というものが使われました。
当時は、図書ボランティア(主に保護者)が本を整頓しやすいようにという目的がありました。
棚番号を図書用ソフトに記載する事で、検索も出来るという画期的なシステムも構築され、楽しくボランティア生活を続けていました。まさか、その後、私が小学校司書になるとは思ってもいませんでした。  
数年後、小学校司書となり、初めて他の小学校の図書室を見てびっくりしました。ホコリまみれの本棚、開かれる事無く数十年本棚に眠っていた本、何より、分類が全くされず本が探せない図書室。
どうしよう…と途方に暮れた私の脳裏に図書ボランティア時代の経験が甦りました。
当時、公共図書館にも相談に行きましたが、この地での学校司書制度はスタートしたばかりで、相談には乗ってもらえましたが、それ以上は管轄外との事。
自分で考えるしかありませんでした。  
まずは、学校図書館関係の本を片端から読み、辿り着いたのは、やはり、かん子先生の御著書でした。
正直言って、図書ボランティアのあの経験がなければ、理解できなかったのではないかと思えるくらい斬新で、しかも一人でするには時間がかかりすぎる。
でも、しなければいつまでたっても現状のままでした。
手始めに棚番号を付け、同時に検索システムも導入しました。
先生方の反応は、図書室が綺麗になった、くらいだったと思います。
救われたのは、一部の子どもたちの反応でした。
「なにしているの?」
の問いかけに丁寧に答えていると、手伝ってくれる子どもが増えていきました。完成した時は、達成感に満たされました。
同時に、問題も発生しました。棚番号は、あくまでも番号なのです。
NDC(日本十進分類法)も番号なので、先生方は棚番号をNDCだと勘違いしました。
その都度説明するのですが、理解してくださる先生はほんの僅か。
ベストなのはイラスト分類シールが使える事。
でも、学校の予算で購入してもらえるのか?それがネックでした。  
2年目に入り、A小学校のO先生との運命的な出会いがありました。
お互い、一言目から目指す図書館像が同じだという事に気がつきました。
イラスト分類シールを購入してもらうために教頭先生を二人で説得し、小さな小学校が幸いし、たった3人で図書館改造計画が進みました。
イラスト分類シールの魅力は私たちの想像以上でした。完成後に子どもたちから貰った作文集には
「本にわかりやすいシールを丁ねいにはってくださったおかげで本を返すときにすぐここだということがわかります」
「図書室の本のある場所に、動物だったら、動物のシールがはったたから、わかりやすくて本を見つけるのが、かんたでした」
「イラスト付きで細かく分けてくださったのでとても分かりやすかったです」
「みんなが見やすいようにロケットやこびとのシールをはってくださったおかげでとても見やすく、本を返すときも同じシールがはってあるところを探すだけだったのでとても楽だったし、図書室がぱっと明るくなりました」
「図書室に行き本をみるとシールがはってあったりすごいなぁと思いました」
「本のカテゴリーシールをはってくださりとてもうれしかったです」
等、イラスト分類シールへの称賛が散りばめられていました。
他の学校でも使いたい。
当初、学校教育課の反応もよく、トントン拍子に話が進むと安易に考えていました。  
一番怖いのは人間の心です。小説の中だけの話ではなく、実際に密かに妨害工作をする人の存在がありました。
子どもたちの事を一番に考えていれば、そういう行動はしなかったはず…そういう人たちは、まず自分ファーストなのです。
すでに4年目に入った秋の事です。
守秘義務等が有り、内容は詳しく明かす事は出来ませんが、人間不信に陥るような出来事がありました。
人間が今の自分よりもっと上のランクに進みたいと考えた時、勉強するしかありません。
他人が勉強したいという気持ちに対して、勉強するな!という人たちが周りにいる環境は、本当に不幸です。寄って集って、小さい箱に押し込められて、外に出られないようにガムテープをぐるぐる巻かれて…そんな状況でした。
そんな時、偶然かん子先生の携帯番号を知る機会に恵まれました。
今から思っても、あんな失礼な事よく出来たなと恥ずかしくなるくらい失礼な事をしてしまいました。
朝っぱらからいきなり電話をして、愚痴々30分くらい話してしまいました。
しかも途中からは泣きながらです。
そんな私の気持ちに合わせて、かん子先生は私と一緒に怒ってくださり、高知で会おうと言ってくださいました。
見ず知らずの人間がいきなり電話してきて、しかも愚痴々泣きながら…そんな人間に…。
心が救われました。
その瞬間、転職を決意しました。
ここでの最後の勤務日、子どもたちの温かい言葉に救われました。
「Kさんがいなくなったら、ぼくたちどうしたらいいの?」
「シールは次の司書さんも貼らせてくれる?」
「次の司書さんには、みんなで教えてあげてね」
と言うと
「たぶん、他の人にはいくら説明してもわからないと思う」
等の会話が続きました。
私のしてきた事は無駄にはなっていませんでした。
そう思える日を迎える事が出来たのは、すべてかん子先生のお蔭です。
あの時は、本当にご迷惑をおかけしました。
そして、新しい人生に挑戦する勇気をくださり、ありがとうございました。
かん子先生に出会えて本当に良かったです。
文系女子に分類は理解できない、と私も思います。