かん子の連載

【赤木かん子還暦おめでとう企画】 73 「授業」

「授業」   by 塩谷京子

かん子さんについて私が語るとしたら、もちろん
「しらべる力をそだてる授業!」(ポプラ社 2007)の授業のことになります。
この授業が、かん子さんとの出合いでもあり、二人の間を繋ぐ橋にもなりました。あの時の子どもたちは、この3月で22歳……、つまり、10年が過ぎました。
10年ひと昔と言いますが、10年経ってもあの授業は全く色褪せるどころか、ますます重要になってきています。
私は教員ですから(正確には、でしたから)授業のプロです。
図書館のプロでも、読書のプロでもありません。
つまり、授業をどうデザインするのかを日々試行錯誤するのが仕事なのですが、授業には中味が必要です。中味については、私が詳しい分野もあれば、そうでない分野もあります。
私は子どもの前に立つ教員ですから、詳しい分野であれ、詳しくない分野であれ、授業を組み立てなくてはなりません。
中味について、学ばねばなりません。
こういう私の淡々とした毎日の中に、かん子さんは宇宙からやってきたように突然現れ、大きな渦をこしらえたのです。
厳密に言えば
「私の授業デザインの枠組みの中に、私は私自身が詳しくない分野を取り入れる必要があり、私自身が詳しくない分野の知識を豊富に持っていた人がそこにいた……その人がかん子さんでした」
ということになります。

かん子さんの最初の1時間の授業を見てとっさに思ったことは
「この授業は単発ではなく連続的に行うことにより、子どもに一つの概念が形成されるのではないか」
ということでした。
しかし、学校の授業は、いいからといって何でも取り入れるわけにはいきません。学校の授業には時間割という枠組みがあり、時間割は教科で分けられています。つまり、何を行なってもいいという授業は存在しないのです。
教科は学年ごとに系統立てられており、到達すべき目標があるのです。
そこで、私が目をつけたのが新設されて間もない「総合的な学習の時間」でした。この時間では、学び方を学ぶことにも、重点が置かれていたからです。
子どもが自分の課題を解決したいときに、身につけておくべき方法が要るという考え方です。
確かに、学校図書館を活用して、情報を集め、集めた情報をまとめ・伝えたいという時に
「集めてごらん」
「書いてごらん」
では、子どもはどうやって集めたり書いたりしたらいいかがわからないでしょう。
この際、学校図書館を活用する時に必要な方法を、連続的に学ぶことを通して形成される「方法」を整理したいと考え、連続的なかん子さんの授業を軸に肉付けした一つの単元を「総合的な学習の時間」の中で作成したのです。
もちろん「しらべる力をそだてる授業!」の本のなかには、授業のライブ感を読者が味わえるよう、前述のような理屈は省いてあります。
「かん子さんの記念」に際し、あえてこのことを持ち出したのは、当時の子どもたち(いまは立派な青年)と語るなかで、10年経っても忘れない子どもの長期記憶に残る「授業」には、授業デザインとともに、子どもを揺さぶる深い知識が必要であることが見えてきたからです。
かん子さんは、今でも学び続けています。
その深い知識に私の好奇心は揺さぶられます。
「あの授業」の知識は、かん子さんの深い知識のほんの一部分に過ぎません。
しかし、その知識が、どれだけ当時の子ども、そして今なお続く読者に影響を与え続けているのか、を考えると、授業デザインのプロとしてこれからも渦を作り続けたくなるのです。