かん子の連載

【赤木かん子還暦おめでとう企画】 98 ハヤ号セイ川をいく

ハヤ号セイ川をいく   by 武井 登志子

 私がかん子さんに初めて会ったのは、今を去ること44年前である。場所は市立図書館の児童室。私は25歳の図書館員。かん子さんは高校生であった。しかし小柄で、短パン。どう見ても中学生か小学校高学年にしか見えない。
会話のきっかけがなんであったか覚えていないが、気が付いたら、その小学生のような子供に「だったら、『ハヤ号イ川をいく』なんかいいよ」と私が本を紹介されていた。今だから、今これを読んでいる人はみんなかん子さんを知っているから、この文章を違和感なく読んでいると思うが、その時は紹介しているのは高校生のかん子さん、されているのは図書館員の私といちいち声を大きくして言わなければいけないほど珍しい場面であり、衝撃的な出会いだった。
その紹介の仕方も最初から半端ではなかった。読書案内の本に書かれているようなことを話すのは当たり前として、こちらが相づちを打ったり何か質問したりすると、それに呼応して、この本からあの本へ、あの本からそっちの本へ、今ふうに言えば、ぱっぱとリンクして、あっという間に関連する本を次から次へと、ザラザラーっとあげるのである。その中味は同じ作者の本とか同じテーマの作品などという、誰でも考えそうな範囲を超えて、「同じような風景描写がこの本にもあって、この作者はこの場所がよっぽど好きだったんだね」とか、「この時代になるとスラム街の救いがたい環境の中で育つ子供を生き生きとリアルに書く人たちが出てくるんだ」などと、作者の好みや思想、時代の児童観に触れた紹介もするのである。外国の児童文学が多かったが、実によく、本当によく、読んでいた。
私は紹介される本をできるだけ読んだ。そう、「できるだけ」と弁解がましく言わなければならないほど、彼女が紹介する本は多くて読み切れなった。しかし毎日のように本を家に持ち帰っては読んでいった。かん子さんも水を得た魚のように図書館にやってきた。
その次の夏休み、かん子さんは図書館でアルバイトをすることになった。カウンターでの貸し出しや返却、返された本を書架へ戻す、児童室で横倒しになった本を行儀よく並べなおす、などが仕事内容だ。まもなく私は上司に呼ばれた。「あの短パンはやめてもらいたい。それと、カウンターでよく両手を挙げてうーんって、伸びをするだろう。あれもだめだ。彼女を推薦した君から注意したほうが彼女も受け入れやすいだろう。」
古くて新しい課題、「××にふさわしくない」ってやつだ。もう記憶が定かでないが、私は短パンについて、かん子さんにいいとかいけないとか言わず世間話のように「スカートをはかないの?」と聞いた気がする。違ったかもしれないが、どう聞いたにしろ、「これしか持っていない」がかん子さんの答えだった。私にはこれで充分であった。特定の服装を条件にアルバイトに雇ったわけではなかったから、普通に衣服を着ているのであれば、短パンでいけない理由はない。
 「伸び」はもう少し厄介な問題に思えた。不特定多数の人に対して常識の範囲内の行動が求められているという考え方もできるし、体の動きはそれぞれ個人の身体的特徴だという捉え方もできる。顔や目の動かし方、歩き方の特徴などと同じで、特殊な職業でない限り、身体的特徴は周りがとやかく言うべきことではない。また何らかの文化的背景の違いという考え方もできる。アメリカの映画やテレビドラマの中で、教師が机に腰かけて生徒に話をしている場面を見たことのある人もいると思うが、日本では特殊な状況でない限り教師がそんなことをすれば物議をかもす。しかしアメリカは、辿ればみんな移民というお国柄。出身国が違えば文化的背景も違う。だから基本的に他の人のやっていることに構わないし、構われる筋もないと思っている。あの人はあの人という考え方だ。さて、かん子さんの「伸び」はどうだろう。あなたならどう思うだろうか。
当時の私には、かん子さんが本をたくさん読んでいることと「伸び」をすることは、まるごとかん子さんという印象があった。この印象がどういうことを意味しているのか、うまく考えることも、表現することもできなかった。当然上司にも説明できなかった私は、仕方なく、一応かん子さんに注意した。「ねえ、カウンターの中で伸びをするのはやめた方がいいと思うよ」かん子さんはとても不思議そうにかつ真っ直ぐに、聞いてきた。「なんで?」
こういう反応は想定できたのに、何の準備もしていなかった私はなすすべなく、心の中で「なんでだろうね」とつぶやくばかりだった。
上司は私では埒が明かないと思い、かん子さんに直接注意した、らしい。アルバイトが終了して、ご苦労さまのお茶を飲んでいるとき、かん子さんは「私、ここではもう図書館員になれない」と嘆いたからわかったのだ。もともと愚痴っぽくないので、不満げではあったが、さらっと言っただけだった。しかしまだ高校生である。図書館員として受け入れられそうにない、不向きだ、みたいなことを言われて、本好きのかん子さんがショックを受けないはずがない。  
では私が注意していたらこの事態は防げたか? 以後私は何度もこの疑問を自分にむけてきた。夏休みの後だけでなく、かん子さんが進路を考えているとき、「別冊烏賊」を持ってきてくれたとき、本を出版したとき、新聞記事になったとき、とにかくかん子さんに会うなり触れるなりする機会があれば、自動的に考えてしまうのである。私自身が図書館をやめた後も、「伸び」の癖の理由が分かった気がした後も、そして今も考える。
答えはいつも「ノー」、初めから「ノー」である。答えが分かっているのに考えるのは、あの夏休みの経験がかん子さんの一生を決めてしまったと思い、多分それは16歳の女の子にはとても過酷なことだった、と思うからだ。
かん子さんが図書館員になって、も一度一緒に仕事をする夢は実現しそうになかったが、私と何人かの図書館員はかん子さんを楽しみにしていた。やがて新聞に彼女の記事が出るようになり、「本の探偵」が出版された。かん子さんの読書力と文章力が遺憾なく発揮された仕事。彼女でなければできなかった、本領ともいえる仕事。わたし達は「やっぱりね」と喜び合った。
しかし、かん子さんが本当にすごいのは、その後の学校図書館活動にある、とわたしは 認識を改めることになった。その活動は努力と工夫に満ちていた。工夫というと、奇をてらったことをイメージする人もいるかもしれないが、そうではない。極めてまじめな図書館の考え方が土台になっていて、そのうえで使いやすさを考えての工夫である。しかも学校図書館という場所はもともと彼女一人の個人プレーで活動が完結するところではない。
図書館や学校の職員は通常みな公務員である。公務員でないかん子さんが、公務員しかいない場所に行って、公務員のルールを使いながら、だれもが利用しやすい開かれた図書館のための実務実践をする。通常では考えられない展開である。その場所を、一番公務員的資質を欠いていると見えた彼女が切り開いていった。ついにかん子さんは高校生の時の夢を彼女のやり方で実現したのである。
かん子さんが高校生の時アルバイトをした図書館に、総白髪のシャキッと背筋を伸ばした、お歳を召したパートの方がいた。彼女はよく私に言った「かんちゃんはいずれ事を成すわよ」と。事を成すためには、基本的な知識も努力も工夫も協力者も必要だ。しかし、まさかその場が図書館とは。脱帽である。