かん子の連載

水曜日の歌 ♬~ 第三十六回

和歌は一人で詠むものですが、それを二人で掛け合いで詠むのが連歌(れんが)です。
まあ、いまの我々が冗談言いながら歩くように歌を掛け合わせて楽しんだわけですね。
たとえば鴨長明の連歌……

鴨長明の前句が
昔にもかえでぞ見ゆる宇津の山

雅経の付句が
いかで都の人に伝えむ

なわけですがこれだけではさっぱりわからないでしょう。
日本の古典のめんどくささの一つはここにあるのです。
つまりたーっぷり知識がないと理解できない、ということで、当時の人は知的エリートなら誰でも知っていた基礎教養だったことを私たちは習ってないのでわからないのです。
これは伊勢物語の
駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり

という歌を知らないとわからないのです。
これは伊勢物語の主人公、在原業平(ありはらのなりひら)が都から東へ旅をしたとき、たまたま駿河、静岡ですね、の宇津の山で京へ帰る知り合いにでくわし、恋人に歌を託した、というストーリーがあるのです。
それをふまえて
昔、業平が見たようにいまもかえでがしげっている
と長明が前句を詠んだのを受けて

でも私らは誰にも会わなかったですねぇ(どうやって都の人に伝えようか……いや、会わなかったから伝えられない)
と返したのです。

ここはかえでやつたが生い茂っている、と伊勢物語にあるので、ちゃんとかえで、とつた、をいれてあり、かえでは、変わらないで、のかけことば、つたえむ、はつた、とかけてある、という凝った作り……。

つまり、本歌を知らないとわからないわけで、まあそれはどこの国でもある程度あるわけですが、たとえば、イギリスなら「不思議な国のアリス」からの引用はいとまがないでしょう。
問題は私たちがその古典に対する知識を失ってしまったことですね。
ですから、古典は、解説されなければわからないものになってしまったのです。

2018/02/14