かん子の連載

LGBTQ+の本棚から 第249回 遠回りしたら僕から・1

トランスジェンダーの林ユウキさんに寄稿いただきました。
今回から何回かに分けてご紹介いたします。
※この寄稿文はブクログには掲載しません

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

【遠回りしたら僕から・1】

 僕はトランスジェンダーです。
 トランスジェンダー(以下トランス)というのは体の性と心の性が一致しない人のことを指す言葉で、体は男性で心が女性の人もいれば、その逆の人もいます。僕の場合は体が女性で心が男性です。
 それとは別に、自分は男性でも女性でもない中性だと感じる人もいるし、男性の時があったり女性の時があったりする人もいますが、それはトランスとは少し違い、Xジェンダーやクエスチョニングと呼ばれます。トランスというのは心がはっきり男性か女性か決まっている人のことを指すのです。 
 それって、性同一性障害っていうんじゃないの?と思った人がいるかもしれませんが、性同一性障害というのは医療機関で診断される、診断名です。
 つまり、お医者さんのところへ行って診断してもらわない限り、性同一性障害とはいえないのです。
 でもお医者さんにいかなくても自分でなんか違和感がある、と感じたりするよね?
そうした人たちが自分を表現するために使うのがトランスという呼び方なのです。

 トランスとして生きるということは、自分の体の認識と実際の体との違いと毎日闘うということです。
 でもそれがどんなふうにつらいのか、ということはなかなかわかってもらえない……。
いろいろな方向があるし、本人だって混乱しているし、同じトランスだからといって、同じことで苦しんでいる、ともいえません。
 二十数年生きてきていま言えるのは、いま僕がわかっていること、知っていることをもっと早く知っていたら、これほどつらかったり苦しかったりしないで、もっと楽に生きられたのではないかということ。  
 だから僕は、今、自分のことがよくわからなくて不安に思ってもやもやしている人に、そういうことを伝えたいと思ってこれを書いています。
「なーんだ、じゃ、自分は関係ないか」といま思った人もいると思いますが、もしかしてあなたの友だちにそういう人がいたときに、あなたがどういうふうに振る舞うかはその人にはとても重要なことになりますから知っておいて損はありません。
 人間だれだって、考えたこともないことをいきなりいわれたら動揺します。わからないことは怖いですから、怖い、と反応してその人が傷つくようなことを、うっかり言ってしまったり拒絶してしまったりするかもしれません。
あなたにはそんなつもりはなかったのに……。
 言葉は力です。
 自分がぼんやり感じているもやもやしたものが、言葉になると、ものすごく楽になります。知識も力です。自分が理解するためにも、まわりに説明するためにも、知識と言葉は必要です。

 この前ある小学校の図書館で「見えない子どもたち」というトランスのマンガを読んだ小学校3年生の子が「昔の人は大変だったんだね。ぼくたちは授業で習うから知ってるけど」と言った、という話を聞きました。
 その子なら、友だちが「僕、トランスなんだ、」といったときにも怖がったり怒ったりしないで、「へ~、そうなんだ~」といってくれるでしょう。
 人間は何かと比べないと、なかなか自分が感じていることや立ち位置がわからないものです。
 僕がこれから書くことは、自分はこうだった、という一つの経験にすぎません。が、それと比べて、あ、自分はこうだった、こう思ってるんだ、ということがはっきりしてくるかもしれません。
 僕が書くことが誰かの役に立つことを願って、書き始めることにします。

~次回に続く~

2022年12月05日