かん子の連載

LGBTQ+の本棚から 第250回 遠回りしたら僕から・2

トランスジェンダーの林ユウキさんからの寄稿を数回に分けてご紹介しています。
※この寄稿文はブクログには掲載しません

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【遠回りしたら僕から・2】

僕はある年の5月に3270gの元気な女の子として生まれた。
 もちろん、両親もほかの人も、生まれた赤ちゃんが女の子だということを疑わなかったので、僕には可愛らしい女の子の名前がつけられた。
 そのまま僕はすくすく素直に育ったのだけど、今考えると自分のなかに、自分は女の子だ、という意識はなかったと思う。
 そういう意識っていったい、いつ頃持つものなんだろう。
 自分が男だとか女だとか、どうしてそう思うのだろう?
 最初に性別に対して違和感を持ったのは5歳の時だった。
 保育園のトイレで男子便器を使おうとして、先生に「女の子はこっちよ~」と言われたのだ。
 それで僕は自分が”女の子”というもので、女の子はこれを使ってはいけないらしい、と思ったのをよく覚えている。
 そのことで自分は女の子というものに属するようだということは学んだけれど、それでも自分は女の子なんだ、という実感はなかった。保育園の赤組、黄色組、みたいな分け方と同じ感覚でしかなかったと思う。その頃はプールはみんなパンイチだし、トイレも男女共用、まだ男女でわけられることもなかったし。
 それにトランスジェンダーの人の子どもの頃の話を聞くと、体と反対の性の遊びが好きだった、というのをよく聞く。男の子だけどお人形遊びやおままごと、女の子だけど虫取りや木登り、かけっこが好きだった、みたいに……。反対の性のおもちゃをねだるというのも定番だ。 
 洋服の好みもそうで、女の子だけど泣いてスカートを嫌がったとか、逆に男の子だけどスカートを履きたくて仕方なかったという話もたくさん聞いたことがある。 
 もちろんそういう人もいるだろうけど、僕はそういうタイプじゃなかった。
 僕の好きなキャラクターは女の子向けアニメの「おジャ魔女どれみ」のおんぷちゃんに「美少女戦士セーラームーン」のセーラーマーキュリーだったし、男の子が好きな戦隊ものや仮面ライダーシリーズ、車のおもちゃとかには全然興味がなかった。
 好きな遊びは鉄棒・うんてい・三輪車、積み木におままごとで、おもちゃの剣をもって走りまわる……なんてこともなくて、ピンクのステッキを振ってはしゃいでいた記憶がある。 
 服については、スカートは好きじゃなったけど、ズボンみたいに見えるキュロットは好きだった。友だちも女の子ばかりだったし、好きなものはどちらかというと女の子寄りだった。
 男の子だって、全員が戦隊物や消防自動車が好きになるわけじゃないんだから、そんなのは当たり前のことなんだけど、男の子のほうが好きなものが好きじゃないからってその子は心が女の子のトランスだ、とは言えない。
 それと同じでスカートが好きな男の子がいても、ただ単に”スカートが履きたいだけの男の子”だってことだってあるんだから、トランスだとは言えないよね。
 でもそんなふうに好みが中性っぽかったこともあって、自分のことに気がつくのが遅くなった、というのはあるかもしれない。トランスの人の中にはもっとずっと小さい時から、自分は男だ!という意識がはっきりあって、スカートは履きたくない、とか、ピンクや赤の服は着たくない、と強く主張した、という人が結構いるから。

 あれっ? とは思ったもののあまり深く考えずに、そのまま元気に成長して小学生になった。 
 でも、保育園時代は楽しく問題なく生活できていても、小学校に入学すると男女で分けられることが多くなってきて、なんか変だ、と思うことが増えていった。
 整列は男女別になったし、トイレもきっちり分けられた。
 2年生までは体操服の色も赤色と青色で分かれていた。そのあとは同じになったけど……。
 男女で色が分けられることは新鮮で驚きがあった。
 そこから、幼稚園時代は別に色にこだわりはなかったけど、男の子の色である青を選ぶようになった気がする。
 絵具セットや裁縫セットは、カタログから全部青か水色を選んだ。でも、あくまでも、女の子が選ぶデザインの中でのセレクトにすぎないのだけど。男の子たちがこぞって選んでいたドラゴンやスポーツメーカーのロゴのデザインは、はじめから選ばなかった。“女の子なのに”そんなのを選んだら、絶対に変だと思われるからだ。それに特別ドラゴンが 欲しかったわけでもなかったし。
 僕はいわゆる“男の子が好きそうなもの”が好きなタイプの男の子ではなかったから、余計にわかりにくくなったのだと思う。
 自分にも、親やまわりの大人にも……。
 だから当時の自分の気持ちを思い出すと、自分でも自分のやってることがよくわかってなくて、それでも変だと思われない範囲で、精一杯男の子をしていたのだと思う。
 唯一、男の子用の物を選べたのはスニーカーだった。小学四年生の時に、当時めちゃくちゃ流行っていたシリーズから、中性的だけど男の子用の売り場に置かれていたものを見つけてこれがいい、といったのだ。
 母と店員さんには「男の子用だよ?」と念を押されたけど、これがいい、といいはって買ってもらったのを覚えている。
 
 あとは一人称にも迷った。周りの女の子はわたし、あたしが多くて、次に自分の名前の子がちらほら……。
 保育園までは自分の名前を一人称にしていたけど、小学生になってそれを使っている子がぶりっこだと言われてからかわれていたから、他のやつにしたいと思った。
 でも、わたしやあたしは使いたくない。
 そんなときに「うちの家来る?」なんて時に使う「ウチ」を一人称にするお姉さんたちがテレビか何かに出ているのをみて、これだ!と思った。地域の方言で「自分ら」を「うちんた」と言うというのもあって、かなり自然に使えた。ということで、僕の小学校での一人称はウチになった。
 でも、作文のときだけは男の子は「ぼく」を、女の子は「わたし」を使わなければならなくて、それにほんの少しだけ違和感を覚えていた。わたし、をよく書き直していたのはそのせいだと思う。「わ」の文字のバランスがとり辛くて書き直していただけだと思っていたけど、それだけじゃなくて、心の葛藤がそこに現れていたのかもしれない。
 
 そんな感じで、漠然とした違和感はあったけど、低学年のうちはそれほどでもなかった。
 それでも“女子しか入れないところ”に行くのは嫌で嫌で、だからそのころから学校ではほとんどトイレに行ったことがない。
 だって、もし君が女の子なら、男子トイレに入るのは嫌だよね?
 もし男の子なら、女子トイレに入れ、といわれたらどう思う?

 だから僕は朝家を出てから帰るまで、トイレにはいかないのが当たり前、という生活をしていた。
 そうしてトランスの自覚がなかった当時は、学校のトイレに行きたくない理由を「潔癖気味で汚いところが苦手だから」だと思っていた。
 子どもながらになにか理由が必要だ、と思っていたのだと思う。 
 その小学校生活が大変になったのは、だいたい4年生くらいからだった。
 このあたりで発育が良い子たちは二次性徴が始まるから、本格的な性教育も始まる。
そこで、それまで良くわかっていなかった性差について説明されて、ようやく僕はいろいろなことを知った。
 相変わらず友だちは女の子ばかりで、男の兄弟がいなかった僕は、身近に男の子というものがいなかったので、男の子に関しては知らないことだらけだった。 
 性教育を受けたことで、今までよくわかっていなかった男女の体の仕組みの違いをようやく理解した僕は、自分の体は女性の体だといわれるものであって、このあと変わっていくのだ、ということを認識するようになったのだ。
 どことどこに毛が生えるとか、そんなことはどうでもいいと思ったけど、やがて胸が膨らんでくる、ということと、生理とかいうものがやって来る、ということがわかった僕は混乱した。 
股から血が出るって何? 
赤ちゃんを育てるためのお部屋の準備? 
経血?
子宮?
卵巣? 
そんなものは自分にはないはずだ。 
 でも”女の子”にはある……らしい。 
 ということは“女の子”の体である自分にもある……ということになる。
 ここのところで僕は本当に混乱した。
 生物的な仕組みは理解できても、自分の体にないはずのものがある、と言われたことが理解できなかった。男性器は目に見えるものだから、それがないことは納得できたけど、外から見えない内臓は、そこにある、といわれてもあるかどうかわからない。自分が女の子だという意識がないのに、いきなり女の子だからそうなんだよ、ということをつきつけられて、僕はこれから起こることが怖くなった。
 ある日突然、自分だと思ってきた体が自分の認識とは違うものになったのだから……。    
 そして性教育の授業の後から、僕は生理が来ることに毎日怯えることになった。早い子は4年生くらいから始まるらしいと聞いて、当時は来ないでくれ、来ないでくれ、と毎日祈るような気持ちで過ごしていた。
 なぜなら生理が来たら、自分の体のなかに子宮というものがある、ということを認めなければならなくなるからだ。
 それはつまり自分が“女の子”だということが確定してしまう、ということだ。
 でも証拠がないあいだはそうだとは、はっきりいえない。
 だからまだ大丈夫だと思いたくて、毎日必死で、来ないでくれ、と願ったのだ。
 それはとても辛い日々だった。 
 でも、そのときは、怖いし、生理がくるのが辛いと思っているのは自分だけじゃなくて、他の子もだろうとも思っていた。
 みんな、体の変化に驚くことがあるかもしれないけど大丈夫よ、と先生が言っていたから、そうか、みんなも怖いんだ、と一人で納得して、みんなも怖いんなら、と思うと少し安心して、それほど怯えることじゃないかもしれない、と自分に言い聞かせていたのだ。
僕はみんなと一緒だということで安心する、めだつことは好きじゃない、臆病な子どもだったからだ。
 だから自分がみんなと違うかもしれないなんてことは、この時は夢にも思っていなかった。 
 僕は女の子じゃない、とは思っていたけど、男の子だ!という意識もなかった。
 僕がもし、いわゆる“男の子”らしいタイプで、戦隊物にはまり、戦うことが好きで、大きくて強いものがいい!という子どもだったら……自分は男の子だ!ということを微塵も疑わない子どもだったら、まずキュロットは履かなかったろう。
キティーちゃんの靴も泣いて嫌がっただろうし、女の子や妹とままごともしなかったと思う。
何が嫌なのかは言語化できないから、たぶん大泣きしながら暴れたんじゃないか、と思う。
僕もおばあちゃんにおかっぱ頭にされた時は、めちゃくちゃ嫌で泣きじゃくった事があるから……。
髪もうんと短くするし、男子に混ざって遊んでたと思う。
それに中学の制服は絶対に着ない……。
だって、スカートだから。

でも僕は自分は男の子だ!
という意識はなかった気がする。
女の子じゃない!
という気持ちはあっても。

 トランスあるあるエピソードに「大人になったらペニスが生えてくると思っていた」というのがあるけれど、僕はそんなことは考えなかったし、不思議なことに、自分に男性器がないことについては全然ショックを受けなかった。
 今も男性器が欲しいとは思っていないし、つけたいとも思わない。こういうところは個人差が大きいのだと思う。
 体を手術してでも完全に反対の性になりたい人もいれば、そこまで求めていない人もいて、自分は何者なのか、ということにも、反対の性にどれだけ近づきたいかにも、グラデーションがある。
 だからそういうところは十把一絡げにして、あなたたちはこうなんでしょう?と決めつけてほしくないと思う。
 大事なのは、本人がどう感じ、どうしたいと思うか、なんだから。
 そうしてそう感じる、というのは本人にもどうにもならないことで、ましてや他人がどうこうできるものではないのだから。

~次回に続く~

2022年12月12日