かん子の連載

LGBTQ+の本棚から 第258回 遠回りしたら僕から・5

トランスジェンダーの林ユウキさんからの寄稿を数回に分けてご紹介しています。
※この寄稿文はブクログには掲載しません

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【遠回りしたら僕から・5】

 学校に行けなくなってどうなったかというと、初めのうちは本当に、ひたすらひたすら寝ていた。 いま考えると、当時の僕はくたくたに疲れ切っていたので、単純に休養が必要だったのだと思う。
 起きていると体と心の不一致が辛いから、寝ていたのかもしれないけど……。
 寝ているうちは何も考えなくていいし、夢を見ているあいだは幸せな気分でいられたから、僕は夢を見るのが大好きで、実際よく見るほうだと思う。
 夢を見ているあいだは魔法の時間だ。
夢の中と現実は全く別物だから、夢の中では女の子ではない理想の自分にだってなれる。 しばらくして少し動けるようになると漫画を読んだり、ゲームをしたりもできるようになった。 ネットゲームにもハマった。
そしてこのネットゲームがある意味、転機になった。 ゲームをするときには男のキャラクターを選んでプレイしていたのだけど、男のほうがキャラデザインが好みだったとかではなくて、あまり考えず、なんとなくこっちがいいなと思って選んでいた。 そのゲームで、ネット文化の「ネカマ」という言葉を知った。 ネット上でのオカマという意味で、男性が女性キャラクターを使って女性になりきっていることを指す。 その反対は「ネナベ」で、つまり僕は知らずのうちにネナベをやっていたことになる。 そこから「オナベ」ってなに? となり、どうやら性同一性障害で、女から男になりたい人のことらしいというのがわかり、FtMという言葉にたどり着いた。
FtMというのは「Female to Male」(女性から男性へ)の略で、性同一性障害のうち、女性体なのに男性の意識を持っている人のことだ。
この言葉を見たときに、初めて、もしかしたら自分はこのFtMというやつなのではないか? と思った。
 そうして、大好きだったあるドラマのことを思い出した。 
小学6年生の2008年に放送されていた「ラスト・フレンズ」というドラマで、そこに 岸本瑠可という人が登場していたのだが、僕の目にはとにかくその人がかっこよく映っていた。
こんな人になりたい! と憧れた。 短髪でボーイッシュ、男勝りな性格でヒロインを守るかっこいい女の人だけど、実は性同一性障害という悩みを抱えている、というキャラクターだった。
当時はかっこいい! と思うと同時に、何かモヤモヤとしてなにかに引っかかっている気がしていたのだが、その理由がここでわかった。
 ああ、あれは自分のことだったから、なんかそわそわして見ていたんだ。
でも岸本さんもまわりに打ち明けられてなかったし、それを理由に脅迫さえされていたから、無意識にそれは良くないことなのだと思い、罪悪感と居心地の悪さを感じていたんだ、と……。 ただ、決定的に違ったのが、彼は女性が好きで、好意を向けているヒロインを守る役だったことだ。
 でもそれまでの僕の恋愛対象は明確に男の子だった。
 初恋は通学班で自分を担当してくれたお兄さんだったし、小学校高学年で好きだったのも男の子、中学で気になった子も男の子だった。
 だから、あれ、おかしい、じゃあやっぱり違うんだ、とここでまた違和感が打ち消され、ふりだしに戻ってしまったのだ。
よく、なんでそんな大きくなるまでわからなかったの? と聞かれることがある。 というのも、人によっては5歳くらいから明確にわかる人が結構いるからだ。 もともとマッチョなタイプの男じゃなかったことに加え、恋愛対象が男の子だった、ということが僕の自覚を遅らせた最大の要因だったのだ。
FtMではないんだ、と思った後、おかしなことに、僕は家のなかでは女の子の服を過剰に着るようになった。
ミニスカートに、ロングスカート、デコルテを強調させる服……。 色も青系や黒ばかり着ていたのに、明るい女の子らしい色のを選ぶようになった。
10年近く経った今になってなんとなくわかってきたのだが、あれは自己防衛だったんじゃないかと思う、。
 ドラマでは脅迫されて迫害されていたし、確かにオナベはほとんど聞かないけど、オカマはテレビでからかわれたり、笑いものにされていた存在だから、そんなのと同じであるはずがないと、反動で過剰に“ちゃんとした女の子”になろうと思ったんじゃないかと思う。
 当時、ゲイとかホモとかレズビアン、という言葉はもうみんな知っていた。
 そういう言葉すらなかった時代の人たちは自分が何なのかわからなくて本当に苦しかったと思う。
 でも、言葉はあってもそういう人たちはドラマのなかで脅迫されたり、いじめられたりしていたし、オナベはほとんど聞かなかったけど、オカマはテレビでからかわれたり、笑いものにされていた存在だったから、ああいうのと自分が同じだと思うのは恐怖だったのだと思う。
 それに僕はそういう意味ではオカマ、ではなかったし――。
だからその反動で過剰に“ちゃんとした女の子”になろうとしたのではないかと思う。 ちゃんとした女の子になれば、ちゃんと大人になれる……。 ちゃんと大人になって、ちゃんと仕事について、ちゃんと子どもを産んで、ちゃんと、ちゃんと……。
自分が何なのかわかりかけたことで逆に混乱し、中3のとき精神は不安定になった。
そして15歳の時、自殺未遂を起こした。 きっかけは本当にささいなことだった。
 というか、きっかけはなかったといってもいい。
 成長するごとに道がどんどん細くなり、いつしか綱渡りしてきたのがついに限界になり、ついに足を踏み外したのだ。
 突然「あ?、なんかもう自分っていらないな」と思ってしまったのだった。
 そうして深夜、洗面所で持っているだけの精神薬全てと、咳喘息の薬や頭痛薬、手元にある薬をありったけ全部飲んだ。
どのくらいあったのか……。 100錠を越えてからは覚えていない。
これだけあれば死ねるだろうと漠然と思っただけだった。 致死量とか、そんなのを考えられる状況になかった。
「あ?、これで死ねる」
と思ってベッドの上で眠りに落ちるまでの時間は、それまでの人生で一番満たされた、素晴らしい至福の時間だった。
 けれども僕は安らかには死ねなかった。
翌朝は普通に目覚めた。 一見何も異常はないようだったが、立ち上がると、一瞬意識が飛んで、次の瞬間には床に倒れた。
自殺がいけないことなのはよくわかっていたし、家族を傷つけると思ったし、怒られるのが怖かったから助けは呼べなかった。 立ち上がれるようになるまで、体調不良といってずっと寝て隠し通した。 トイレに行く時だけ這って移動した。
 だから家族は多分、このことを知らない。
 自殺未遂をしたあと、あんなに満たされた気持ちだったのが漠然と怖くなった。
死は救済だと本気で思ったあの時の自分を思うと今はゾッとする。 いま考えたらあの幸福感は、ただ単に薬の影響だったのかもしれないと思うけど……。 後に残ったのは正常な判断をできない状態になる怖さだけだった。
 だから僕は二度と自殺はしない、と今は思う。
 という感じで色々ありつつ、自分が何者なのかわからず、混乱したまま、僕は中学を卒業し、全寮制の、それも女子寮に入ることになってしまったのだった。

~次回に続く~

以下、ご紹介はかん子のブクログでご覧ください。
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2023年02月20日