かん子の連載

☆楽しい学校図書館のすぐに役立つ小話☆彡【文学について・その5】

次の文化の転換期は1975年、でした。
まあ、ここを説明すると長くなりますが、アメリカでは、10代を主人公にしたヤングアダルト小説が軌道にのり、絵本の中から子どもを守れる大人が姿を消し、アシモフが始めた哲学するSFはここでおしまい。
その後延々とフィリップ・K・ディックを作りつつ「スターウォーズ」に突入し、アメリカのSFは冒険活劇に逆戻りしてしまいます。考えないSFに……。
つまりアメリカはベトナム戦争に負けた、ということをどうしても受け入れられずに成熟しない世界に突入していくのです。
大人が成熟しないと子どもはそのとばっちりを受けます。
かくしてヤングアダルト、層が形成されたのです。

日本でも陸奥A子が登場し、萩尾望都たちが始めた思考する少女たちに反発する、好きな男の子のためにマフラー編むののどこが悪いの?という少女漫画の反撃が始まります。
氷室冴子と赤川次郎が登場し、日本文学913はさらに混沌に突入……。
これは1975年「ウォーターシップダウンのうさぎたち」が出て決定的になりました。
この作品は、本人は大人の本のつもりで書いた、なのち、ガーディアン賞という児童文学の賞をもらってしまい、本人が、俺が書いたのは子どもの本だったのか、といったという話があります。
日本でも評論社が神宮輝夫訳でだしたので、当然のように児童書扱いになり、児童室が買いました。
ところが借りに来るのは20代と30代……。
当時の図書館では、これは大人の本にするべきだ、いや、児童書でしょう、という議論がなされ、面倒だから2冊買って置いた、という猛者も現れました。
そして最終的にはヤングアダルトコーナーを作ってそこに置くことで落ち着きました。氷室冴子もそこにいってもらったら、棚が安定したわけです。
でも赤川次郎は……。
ヤングアダルトコーナーに置くと大人が殺到します。
まあいつも棚にない状態だったので混乱はしませんでしたが、これが返ってきたらどうしよう、はいつもありました。
ということは、昭和、という時代区分で棚を作ってもわかりやすくはならない、ということです。
でも図書館の先輩たちは何も考えていませんでした。
913でいいじゃないの、というわけです。
一部の図書館員たちは、それでも913のあとに、ドキュメンタリーはD、エッセーはE、をつけて同じ作家の本は同じところに来るように並べたりしていましたが(エッセーは914、ドキュメンタリーは916です。でも、この2つのジャンルもまた、崩壊し始めていたので厄介になりつつありました)そんな“考える司書”はごく少数でした。
分類することで、現状と問題点が見えてくるのに……。
てなわけで、80年代はどうしたもんか、で終わりました。

2023/03/30 更新