かん子の連載

LGBTQ+の本棚から 第271回 遠回りしたら僕から・8

トランスジェンダーの林ユウキさんからの寄稿を数回に分けてご紹介しています。
※この寄稿文はブクログには掲載しません

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

学園祭を無事終えて6月になった。

入学して2カ月たって、淡々と日々をこなせるようになってきたころ、人生で初めての恋人ができた。同じクラスの男の子だった。メールアドレスを交換して、色々なことを話していくうちに距離が縮まっていき、付き合うことになった。

 これが、僕の人生を大きく変えることになる。 

 付き合う前も付き合ってからも、男の子はこんな子が好きだろうなと思い、メッセージではかわいらしいふわふわした絵文字を使ってみたり、できる範囲に“かわいい”を込めてやり取りをしていた。

 好きでいてもらいたいと思っていたから、きっとこういう子が好きだろう、という想像の女の子になり切って……。そう、なりきっていたのだ。苦痛ではなかったし、それはそれで楽しかったけど、ありのままの自分ではなかった。

 学校から帰省するときとかにデートもして、彼はもちろん僕を大事にしてくれた。歩くときは車道側にいてくれたし、水族館のチケットはおごるからって言ってくれたし、手を握った時もそっと。 

 それが嫌だったわけじゃない。嫌じゃないんだけど、嬉しいんだけど、でもなんか違った。 

 何が違うんだろうと悩みながら日々を過ごしていると、そんなことなんて吹き飛ぶことがやってきた。「来月からプールの授業が始まるから準備するように」というお知らせが配られたのだ。 

プール!

それは僕が学校で一番嫌いなこと!

通っていた中学はプールの授業がなかったからすっかり忘れていたけど、夏の体育といえばプールなのだった。しかも室内プールだから雨で中止とかもない……。絶望だ。

 僕はスクール水着が大嫌いだった。胸もお尻も太ももも強調されるあの最悪のデザイン……。小5くらいから胸が出てきて、それが目立つのが嫌だったし、お尻に少し食い込むのも嫌で、めちゃくちゃ気になって、頻繁に食い込んでいないか確認して直していたのをよく覚えている。最後に着たのは小学校6年生の時だったけど、もう二度と着なくていいものだと思っていたからかなり焦った。本当に本当に着たくなくて、すごく悩んで、どうしたらいいかわからなくなってパニックになった。そんなことで?と思うかもしれないけれど、僕にとっては死活問題だった。

それでどうしようとなったとき、T先生のことが頭に浮かんだ。先生は女子寮の寮監の1人で、なんとなくこの手の繊細な話題を出しても対応してくれそうだなと思っていたからだ。

「先生。プールに入りたくないんです。どうしても入りたくないんです」

「そう。何か理由があるのか、聞いてもいい? 嫌なら大丈夫」

「その……自分はもしかしたら性同一性障害?かもしれなくて。水着は女の子の体型が強調されるし、女の子しか着ないスクール水着を着たくないんです」

「そうなんだね。嫌だよね。わかった。先生から体育科に話をしてみるね」

 簡潔にするとこんなやり取りだったと思うけど泣きながらで伝わりにくかったと思う。それでも先生はティッシュを差し出して、背中をさすりながら聞いてくれた。その何日か後、「話は通しておいたから大丈夫だよ、安心して」と言われてまた泣きそうになった。

 本当にうまく伝えてくれたのだろう。体育の先生からは特に追及されることもなく、みんながプールで泳いでるときに、僕は職員室でレポートを書くことで単位をGETした。 

 しかしこのスクール水着問題はこれで終わりではない。この出来事を通して“自分は性同一性障害かもしれない”と口にしたことで、いままで持っていた数々の疑念が確信に変わり始めたのだ。

 心のなかでぼんやり思っているだけなら、なんとか押し殺すことができても、音にして外に出すと、なんというか固体になって形をもってしまう……。

 するとその途端、今までの大小さまざまな違和感が一気に襲い掛かってきた。

 小さな頃に男子トイレを使おうとしたこと、青色ばかり選んでいたこと、男の子用の靴を欲しがったこと、自分のことを「わたし」と言えなかったこと、女子トイレに入れなかったこと、自分の体の変化について行けなかったこと、胸が大きくなるのが嫌だったこと、生理が怖かったこと……。

 こういうことの全部が全部、自分は女の子じゃないから、女の子になりたくなかったからだ、ということに気づいたのだ。

 そうすると、急にみんなで入るお風呂がダメになった。女の子しか入れないところに入れて、何も問題なく受け入れられてしまうことや、自分と同じ形の裸体に囲まれることが嫌になった。 

 でもお風呂に入らないなんてできない。だからこれも先生に相談したのだけれど、200人近くいる寮生の中で1人だけ特別扱いすることはできないと言われてしまった。それはそうだと思った。

 かといってお風呂が嫌だからって理由で学校を辞めるわけにも行かない。だからしょうがなく、また同じように我慢してお風呂に入ることにした。 

 そのあたりで何日か調子を崩してしまった。その時、不思議な感覚に襲われて、突然自分を斜め後ろからみている感じになったのをよく覚えている。幽体離脱みたいな、自分が自分でないような、このまま体から離れてしまうような感じがして、とても怖かった。後から調べたら、それは強いストレスを感じた時に現れる症状らしいことがわかった。

 それくらい、自分は男なんだ、という自覚は大きな衝撃だったのだと思う。

 そうしてあとから考えると、僕はその時に心を少し殺したのだ。

 だってそのままじゃここで生活できないし、学校を辞めるという選択肢はなかったし、ここでやっていこうと思ったのならそうするしかなかったから。

 それでなんとか生活は元に戻せても、自覚してしまったことを忘れることはできない。

 そうして僕は両親に手紙を書いた。自分は性同一性障害かもしれないこと、それを許してほしいことなんかをかなり必死な長文でびっしり……。

 この手紙を書いたときは、正直とても怖かった。もし受け入れてもらえなかったら居場所がなくなってしまうし、勘当?なんてされてしまったらどう生きていけばいいんだろう?って。

 生来のマイナス思考も重なって、受け入れてもらえるだろう!とかどうにかなるだろう!とは考えられず、どうしてか本当に悪い方向にしか想像力が働かなかった。きっと今までに得ていたセクシュアルマイノリティに関する知識が圧倒的に足りていなかったからだと今ならわかる。それまでに知っていた人たちはいつも迫害されていたり、笑われたりしていたのだから。

2023年05月22日