みんなの告知板

科学論文捏造の歴史の本

これは1988年に日本で出版された本だが、今回のSTAP細胞の事件を受けて、再販された。
中味は科学論文捏造の歴史だ。
ただ、いま出すんなら、もう一回、翻訳の見直しをしてほしかったな、と思う。
????という翻訳文が結構あるのよ。
おおざっぱなことはつかめるけどね。
たぶん、一般の人々の素朴なギモンは、なぜ捏造や改竄が起きてしまうのか?

それがまかり通ってしまうのだろう?
だと思う。
それにはいくつかのパターンがある、とこの本はいっている。
追い詰められた研究者が、やっちゃいけないのを承知して
とか
初めから世渡りの術として、沈着冷静に詐欺をする
とか
なかには、私は知らなかった、と遺書を残して自殺した人もいて、いまだにどっちなのかわからない、とか。

でもって、論文の捏造は簡単らしい。ということにまずは驚く。
世の中に山とある論文をパクってきて四千もある、あまり有名ではない雑誌にバンバン投稿すると、チェックは事実上不可能…。
論文のなかみがまともなら載ってしまう。
よく考えたら、まったく分野の違うテーマで二週間にひとつ、書けるわけがないのだけど、それも注意深くチェックする人がいなければ誰も気が付かないだろう。
もっともいまはネットがあるから、ここに関してはいまは少し変わったかもしれない。
学生のパクリも見つけられるようになりましたからね。
でも要するにに、経歴に書いてあることをウラを取らない(なに、電話一本かけるだけ、とか、ネット検索するだけ、とかなんですが)取る習慣というか、チェック機能がないからなのですよ。
詐欺師にとっては、こんな甘い世界はないってなもんだ。
だって、みんな、うそはつかない、という人間性善説の世界なんだから。
不思議なのは、他人の論文であれ、これをこう加工したら評価してもらえる、ということがわかるだけでも素人には無理だろうと思うし、比較的優秀なはずの同僚や指導教授に、こいつはできる!と思わせるためにはそれなりの優秀さも必要ではないかと考えるのだが、もし本当にそれだけのことができるなら、他のことしてもそれなりに仕事はできるだろうと思うのに、なぜそんなことをわざわざするのか、ということだ。
だから、前の韓国の教授みたいに追い詰められた研究者が…という構図はとてもよく理解できるし、理解できるからこそがっかりはしても、それほどインパクトはないよーに思う。
少し前に起きた、東大から追い出されたアリニール・セルカンのときも、素晴らしく日本語はうまいし、こんだけ能力のある人がまわりをだまそうとしたら簡単だろな、という感じがあった。
そんなことしなくたって、あんた、じゅうぶん、どこにいったって食えるじゃん!とも思ったが。
飛行機に乗ると置いてある雑誌「翼の王国」に載っていたエッセイを読んだことがあるが、それこそ驚嘆するほどうまかった。
いまとなっては、あれも嘘なんだろな、惜しい、使いたいネタなのに、と思う。

今回、小保方さんの事件が衝撃的なのは、なぜこんな稚拙なレポートしか書けない人が、アメリカの大学出て、賞賛され、研究室チーフに抜擢されたのかが理解できないからだ、と思う。
セルカンのように、名誉や金のために、彼女自身が積極的にせっせと画策したようには見えない。
まあ、ほめられたい願望は強いかもしれないし、まわりの担いでくれる御輿には喜んで乗っただろうけど。
あのレベルでいまの大学は、大学院は、論文通っちゃうんだ、ということ?指導教授は論文読まない?
研究能力と報告書書く能力はそりゃイコールじゃないけどさ。
いったいなんでそうなるのかさっぱりわからない不気味さがイコール今風、といえなくもないけど。