みんなの告知板

TSUTAYA図書館のおかげで……、

TSUTAYA図書館のおかげで……、といっていいのかどうかわかりませんが、図書館にもきちんと仕事できる人間が必要なんだ、ということが、少しは世間に伝わったのではないかと思います。
でもそんなのは考えるまでもなく、当たり前のことでしょう。
どんなスーパーだって、その店をどうやって経営するか、を考える人間がいなかったら、責任をとる人がいなかったら、繁盛しませんよ。
レジとパートだけではお店はやっていけないに決まってる。
民間委託を悪く言う人は大勢いますが、そのおおもとは公共図書館がそもそもちゃんとした仕事をしてなかったから……ではないんでしょうか?
公共図書館が素晴らしかったら、使いやすく、役に立つところだったら、誰もそういう良いところを民間委託にしたいなんて言い出すわけがない。
つぶすな、という声があがるはずでしょう?
これなら民間委託のほうがマシ……とささやかれる図書館がどれだけ多いか……。
でも民間委託にしたからって本当に良くなったところなんて、やっぱりごくわずかしかないんですけどね。
せいぜいちょっとはマシ……になっただけで……。
そうして五年後には崩壊する……。
なぜかというと、結局、図書館を作れる人間なんて、そういないからーー。

何が一番問題って、司書資格のある正規の司書たちが、図書館作れないことですよ。
そんなばかな、って思うでしょ?
でもそうなんだよ。

もちろん図書館は知識がないとできないんだ、と役所が思ってくれなかった、というのは大きかった……育成もしようと思わなかったのだから、そりゃ育たないですよ。
博物館の学芸員がそこそこ育ってるのを見ても、スマイルだけではシステムに勝てない、と思う。
でもね、私は司書は自分で墓穴を掘った、と思うよ。
お役所が、公務員のなかからなにも知らないズブの素人を次から次にまわしてきたのも事実……。
でも、その人たちを手っ取り早く教育するだけの腕がなかった……どころか、専門職として認めろ、といいながら、やってたことは???だったでしょう?

コンピュータが生まれたとき、日本の図書館員のなかには、図書館にコンピュータをいれるな、という、運動をしてる人がいて仰天したものですが、いまだに、図書館大会にいくと、30年前の理論を振りかざす正規の司書、というのがいます。
そうして、棚の作り方、とか、いまの図書館の分類配置はどうあるべきか、という実のある話は一向に聞かない……。

児童はもっとひどいね。
大人と違って子どもは抗議してこないのをいいことに、これは読むべきだ、これは読んじゃダメだ、と、あんたらはいったいなんなの?という司書がもてはやされる。
そんなこと、大人の利用者にいったら大変だよ?
読書の自由にたいする権利っていうのはどうなってるんだ?
子どもには、権利はないのか?

本といったら文学だと頭から思い込み、社会学の本も自然科学の本も勉強しないどころか、満足にNDCすらいえない……。
だから棚なんか、当然作れない。
ということは、そもそも図書館とはなにか?
すらわかってなくて仕事してたってことじゃないですか?

初めて、自然科学の絵本、という分類を見たときには、アタシャ、愕然としたよ。
もうこれは本当にダメだ、と思ったね。
宇宙の本は絵本より、天文学のほうが優先順位は上でしょう?!
どう考えたって……。

そんなのが専門性を認めろ、と騒いだって、そりゃバカにされるだけでしょーよ。

海老名の図書館で起きた、宮沢賢治の「やまなし」を地理に分類する、みたいなことは、ある意味データのバグにすぎないんだから、そのうち直すでしょ(というか、TSUTAYAではいままで賢治を地理の棚に入れていたのか?というギモンは残るが……)。
コンピュータが整備されたのだから、目録を精密にとることができ、テーマやタイトルからその本を探し出せるようにできるのならば(あくまでもこれができるのなら、という前提だけど)NDCにこだわる必要もない、と思う。
書庫はすでにそうなっているし、一般市民はNDCではなく本の背中のタイトルで本を探すのだから、素敵でカッコいいブティックや雑貨屋のように探しやすく楽しく分類配置できるなら、それでかまわないでしょう。
ただ、どうしたって、それを考え、維持する人間は必要だよね?
毎日毎日の、この本はもういらないかな、この本をいれよう、という判断は機械的にはできないし、仕事を知らない素人にもできない。
家を建てたことのない人間ばかり集めて家を作るなんてできっこない、と普通は思うだろうに、なぜ図書館だけは図書館を作れない人間で、できるなんて、考えられるのだろう?

といっても、その‘図書館を作れる人たち’がそもそもいなくなっちゃった、んだから、そういう話をするのも虚しいっちゃ、虚しいんですけどね。