みんなの告知板

NDCでは、

NDCでは、文学は、
第一次区分はジャンルー9
(文学)
第二次区分は言語ー1
(日本語)
第三次区分は形態ー3
(小説)で913
で、その次の区分は.をつけたあと、時代である。
そうして“源氏”や“伊勢物語”などには番号があるが、現代小説は現代小説でおしまい……。
まあ、これを作ったのは1929年だし(1929年には夏目漱石が現代小説だったんだから)仕方ないんだけど、ファンタジーだのホラーだのというジャンル区分は、ないんだよね。
なぜかって、ジャンルは生まれたり廃れたりするものだからー。
ヨーロッパで近代小説が盛んだったのは19世紀……。
早くも20世紀の頭にはもう純文学は無理なんじゃないの?
といわれ初め、それでもなんとか1950年代まではジェイムズ・ジョイスとか「華麗なるギャツビー」とかが引き伸ばして頑張ってきたんだけど、いまじゃ純文学は風前の灯火……だよね?
そのかわりに、20世紀はシャーロック・ホームズやポワロやエラリー・クイーンの“ミステリー”が頑張り、その対抗馬として(俺たちはそんなに育ちがよくないんだ!)“ハードボイルド”が頑張り、くまのプーさんやアーサー・ランサムやケストナーの“児童文学”が台頭してきます。
で、1950年代にそれまでの牧歌的な児童文学が廃れていくのといれかわりに“指輪物語”のトーキンのハイファンタジーや「トムは真夜中の庭で」のYA文学が台頭してくる……。
で、これも1980年代の終わりに廃れていきます。
もう、そのスタイルでは書けなくなった……。
そのかわりに日本では1990年代に森絵都をはじめとする表のYA文学と裏のラノベファンタジーが、 それを受け継いだわけですが、そういう、流れを見ると、もう“児童文学”というジャンルはないんだ、と思ったほうがいいかもしれないな、と思います。
“児童文学”も“ファンタジー”や“ミステリー”と同じようにジャンル名で、生まれたり廃れたりしていくものなんだ、と思ったほうが、すっきりしない?
もちろん、ファンタジーというジャンルが、大人の小お耽美→子ども部屋のお遊び→ハイファンタジー→“ハリー・ポッター”と同じ単語なのに変化してきたように、ニュータイプの児童文学が生まれることに異存はありませんが、いまんとこ、どう書いたらいいかわからない……のが現状ではないかと……。
というか……もう“児童文学”に固執するのをやめればいいんでないかな、と最近思うんだよね。
“夢よ、もう一度!”
じゃなくてもいいよね?

さあていったい、どうしたもんかなぁ。