今度のコロナ騒ぎで
今度のコロナ騒ぎで、かなりたくさんの先生が動画の授業をしてみて、これはかなり難しい、ということを体感されたことと思う。
 生徒が目の前にいる授業は生身、つまり情報そのままでもできなくはないのだが、動画にするときはその生身の情報を刈り込んだり、構成したりして“編集”しないと使えるものにはならないのだ。
 講演そのままの記録が、そのままでは使い物にならないのと同じに……。
 今回初めてやってみて、
 あれれれ?
 と思ってくれた先生方がたくさんいらっしゃるといいのだが……。 
 本も同じで、ただ単に情報を並べるだけでは使える本にはならないのだ。
 本の形をしているだけで……。
 いまの大多数の児童用の調べ学習本が使い物にならないのは“編集”されてない、からなのだ。
 作った人たちは“編集”しているつもりなのかもしれないが、それは仕事し始めた社会人一年生が、言われた仕事を自分はできた!
 と錯覚して満足しているのと同じ状態で、実際にはできていないのである。
 でもそれをとがめる先輩たちはいなくなってしまった……。
 どころか、下手をすると賞までもらってしまう。
 なのでその錯覚は30過ぎても続くのである。
でもこれからの社会は“編集能力”がものをいうようになるだろう。
 なんたって、わからない下手くそな動画はだれがみてもわからないのだから。

 