盛岡語りの会、今回のテーマは“夫婦愛”……。
お話、物語は、もともと“語られるもの”で文字は使いませんでした(文字は税金の取り立てや借金に使われました)。吟遊詩人や語り部の人たちは、文盲で文字は使えなかったと思います。
耳から聴いたことを100%は覚えられません。なので欠けたところは自分で補うのですが、それが上手なら次の世代がそれを受け継ぐ、下手ならそこで消えるので、勝手に捏造しても構わなかったのです。そうやって民話は無辜の民に磨かれ、真髄だけになっていきました。
和歌短歌俳句などは、いまでも吟じられ、音にするのが普通です。つまり、音読されることを意識して作られます。
近代の物語は音読から黙読に移りましたが、それでもときどきは、あ、これは音にしたほうがわかるな、映えるな、というものがあります。著者の方がそう思って書いていらっしゃるのかどうかはわからないのですが、目で読んだら通り過ぎてしまうだろう話が、音にすると立ち上がってくるのは一種の快感です。
今回のテーマは“夫婦愛”……。
一つはギリシア神話からですが、ほかは近代の作品からとりました。
同じ演劇でも、舞台、テレビ、声優、朗読、講談、落語、ストーリーテリング、みんな、場の作り方が、違うのです。
こういう会はあまりないので、ストーリーテリングを聴いたことがない、というかたはぜひ一度、聞いておいていただきたいと思います。
お話が立ち上がってくるのは楽しいです。