ニュース記事より:図書館での自習の可否、どう考える? 「そもそも禁止」「推奨する施設も」→地域住民の学習環境に影響 SNSで様々な声(まいどなニュース)
図書館での自習の可否、どう考える? 「そもそも禁止」「推奨する施設も」→地域住民の学習環境に影響 SNSで様々な声(まいどなニュース)
Yahoo!ニュース 9/21(日) 10:00配信
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今の公共図書館で自習が制限されるようになったのは、1960年代、有産階級の子弟(つまり、金持ち上流階級エリートね)のためだった公共図書館を(月ー金の0900ー1700しかやってなかったら、労働者は行けないでしょ?)女子ども赤ちゃんもこられるようにしよう、という図書館改革の一環だった、と習ったことがある(確かめてないのでホントかどうかはわからない)。
それまでは図書館には自習室があり、図書館は受験生が勉強に行くところ、というイメージだった。
それを払拭するために、自習室をわざとなくした、というのだ。
土日も営業する、とか、その地方に合わせて夜間営業もするとか、図書館改革はいいこともたくさんやった。
けれども、マンガをいれない、という路線と、自習する人たちを追い出したやりかたは、間違いだった、と私は思う。
子どもたちみんなが恵まれた学習環境にいるわけではない。
うちにクーラーがないとか、下に妹や弟がたくさんいて勉強できない、とか、そもそも自宅に勉強スペースがない子どもたちなんて、いくらでもいるのだ。
7人に一人?が貧困家庭だとかいってる時代に、勉強したい高校生に勉強するスペースを保証するのは、自治体の義務だと思う。もちろんそれは図書館でなくても良いが、いまのところ、一番やりやすいのはやはり図書館でしょう。
私の知ってる沖縄の図書館長は、夏休みには、廊下にまでありったけの長机と椅子を出して、子どもたちに提供していた。
しまいには館長室まで開放していた。
館長の机で館長用のふかふかの大きな椅子で3年生くらいの小さな男の子が実に神妙な顔で勉強していた光景は忘れられない。
😁
彼はそのことを一生忘れないだろう。
大人が自分のために手を尽くしてくれた、ということを。
それは勉強だけのことではないのだ。
子どもたちはそのことで、この人は自分を守ろうとしてくれる、自分は守られてもいい存在なのだ、というメッセージを受け取るからである。
誰かが自分を見ていてくれる、肯定してくれる、守ろうとしてくれた、ということ自体がその子を守ってくれるのだ。
そう思うことで、それを心のなかで握りしめて、その子は少し太く大きくなることができる。
そんなのは親がやるべきだ、という人がよくいるが、やらない親のところにたまたま生まれてきてしまった子どもにはなんの罪もないでしょう。
その害を被るのはその親ではなく、その子ども、なのだ。
子ども食堂も児童館も幼保も学校も図書館も、子どもと関わるところはどこでも子どもを守り、子どもの味方でなければならない、と私は思う。
沖縄の、あるアメリカ資本のハンバーガー屋は、戦後からずっとコーラ一杯で真夜中勉強している高校生をほうっておいてくれ、3時にはただでそっと珈琲を一杯持ってきてくれていたそうだ。
なので、沖縄の人たちはそこの悪口は言わない。ずっと感謝し続けている。
図書館は子どもたちに、そこの街の実情にあわせてクーラーと居場所と本と勉強するスペースを提供するべきである。