かん子の連載

スーパーグローバル化、とかで大学に億単位の金がきてるそうだが、

スーパーグローバル化、とかで大学に億単位の金がきてるそうだが、そんな金があるなら小学校にまともに司書をいれろよ!
と思う。
どこの大学でも、学生が文章が書けないと嘆いている。
文章も書けなければ、出典も書かず、目次も索引も使えないのは普通である。
日本語ですらまともに文章が書けない学生に英語教えて活発に議論ができると、なぜ思うのか?
英語ができるかできないかは、実はあまり重要ではない。
ジャパニーズイングリッシュで充分オーケーだ。
相手だって、インドなまりだったり、ドイツなまりだったりするんだから。
問題は中味だよ。
議論するに耐えうるだけの中身があるかどうか……でしょうがー。

そのお金で中身があり、英語に堪能な外国大学出身の教師をたくさん雇うのならオーライだけど、そんなことしたら、いまいる大学教授たちが対抗できないのは目に見えている。
誰がそんな、わざわざ恥をかくようなことをするものか。

英語で授業する、ということは、外国に日本の大学のカリキュラムがバレてしまうということでもある。
?十年前に大学に入ったときだって、その中身のなさに愕然としてがっかりしたのだから、いまだってたいして、変わらないだろう。
(たとえば、Mr.バークレー、というあだ名の教師がいた。バークレーに留学したことが唯一のご自慢で、一時間の授業のなかで最低三回は、わたくしのいたバークレーでは……、というのでそのあだ名がついたのだが、なんの話をしてたのか、まったく覚えていない)
まともな教師を雇いさえすれば、授業の中身は自動的に良くなっていくのである。
としても、いまの学生を相手にしたら、向こうに匙を投げられそうだが……。
でもって、そういう情報はいまや世界的規模で流れてしまうから(それこそグローバルなんとかだよ)世界中に日本の大学のだらしなさがバレてしまうということになる……。
ということを考えると、きゃ~、いや~😅
と思うんだけど