かん子の連載

私の恩師シリーズ 3 <犬飼先生その一>

私の恩師シリーズ3
犬飼先生その一

恩師、の三人目は、法政大学教授だった犬飼和雄氏である。
児童文学など全然眼中になかったのに(卒論は「嵐が丘」だったそうだ)たまたまホガードの「小さい魚」の翻訳を頼まれ(これは課題図書になった)感激して児童文学の世界に入ってきた先生は、骨太の社会派の、それまで児童文学の世界では翻訳されなかった本たちを日本に紹介してくれた人である。
児童文学といっても小さい子ども向けのものではなく、大人が読んで読みごたえのある本が児童書の中にあることを発見した……つまりヤングアダルトのはしりの翻訳をしてくれたのである。
だから主流派にはならなかったけど、犬飼先生がいなかったら、たぶんほかのホガードも、ピーター・カーターの一連の作品も、そうして犬飼先生がいなかったら翻訳者、金原瑞人、も生まれなかったろうから、日本の児童文学の世界はかなり貧しいものになっていたに違いない。
自分の好みの本をどこも出してくれないからと、ぬぷん、という出版社まで作ってしまった先生は精力的にピーター・カーター、レオン・ガーフィールド、といった作家を訳してくれた。
同じ翻訳もののなかではやはり大人のものより子どものものは読まれず……そのなかでも外国の歴史物はさらに読まれず……そのなかでもロマンチックなローズマリ・サトクリフのファンはいても、骨太のピーター・カーターなどは読まれない……ので、もういまでは下手をすると書庫にしかないかもしれないが、1600年、キリスト教とイスラム教の激突、ウィーン攻防戦を描いた(これが二百三高地のモデルだったと思う)「運命の子どもたち」などは、大人が読んだら面白い本ですよ。
楽々と読めるし……。
不思議なことに、日本は歴史物は大人のジャンルだが(池波正太郎と山田風太郎、司馬遼太郎が生まれたからなのか?)イギリスでは歴史物は児童書のなかにいいものが多いのだ。
ほぼ、翻訳されませんけどね。
そう考えると、犬飼先生は1990年代のヤングアダルト文学のブームの影の功労者だったのだ。
続く……。