かん子の連載

LGBTQ+の本棚から 第275回 遠回りしたら僕から・9

トランスジェンダーの林ユウキさんからの寄稿を数回に分けてご紹介しています。
※この寄稿文はブクログには掲載しません

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手紙を送ってからの初めての帰省。何を言われるんだろうとビクビクしていたけど、想像していたような悪いことは起こらなかった。
 両親は思春期によくある迷いだとかそう思って、まだあまり僕の話を信じていなかったのかもしれないけれど、勘当とかそんなことにはならなかった。とにかく無事に元気で生きてくれていたらそれだけでいいと言ってくれた。その言葉や態度にとっても安心した。自分が性同一性障害でもいいんだと少し思えた。
 自覚するとセクシュアルマイノリティー(以下セクマイ)の雰囲気というものがでてくるのだろうか? それとも自分の意識が変わったからだろうか? 同じようなセクマイの子たちと仲良くなった。
 最初は誰がセクマイかなんてわからなかったけど、セクマイ特有のセンサーみたいなのがあって、そのセクマイレーダーでこの子もそうだろうなとか、この子なら大丈夫そうだなというのがわかるようになってきたので、試しに性同一性障害の子が出てくる小説を貸したりして、リアクションをみたりしてみた。自分と同じかそれに近いFtMなんじゃないかなという子もいたし、レズビアンかもしれないという子もいれば、中性だと思っているという子もいて、寮の中には驚くほどたくさんのセクマイがいた。今まで通ってきた小中学校にはいなかったのに。いや、一人だけいたかな? でも関わりはなかったし、よく覚えていない。とにかく今まではそれくらいの遭遇率だった。
 それなのにどうしてこんなにこの学校にはセクマイがいるのか。おそらく不登校を専門的に受け入れている学校という特性上、学校という場で上手く生きにくいセクマイの生徒が集まっていたのだと思う。
 女子寮であることはさておき、そんな環境はセクマイであることを自覚した身にはとても快適な場所だった。仲間を見つけて、一人じゃないと思えたことはとても嬉しいことだった。
自分がセクマイだと自覚せず会うのと、自覚してから会うのとでは雲泥の差がある。寮で出会った仲間たちが、僕が初めて出会ったセクマイなんだと思う。
今は20人に1人はセクマイだと言われているのだから、それまでの学校ではみんな隠していて(言えなくて)わからなかっただけかもしれないけど、一度わかってしまえば、この学校にはびっくりするほどたくさんいたのだ。
 セクマイは思い悩んだり、周りの環境が自分を受け入れてくれる状態じゃなかったりして、時には自己否定をしなければならないから不登校になりやすい傾向にあるのだろう。そしてこの学校に集まった。なんと40人弱のクラスに女子寮メンツだけで4人もいた。よく言われている数値よりはるかに多い。なんてすごい場所なんだと驚き、なんだか嬉しく思った。1人じゃないと思えたことは、何物にもかえがたい安心感があった。
 セクマイ友だちはどうやって出来たかというと、Aちゃんが僕にそっと教えてくれたことから始まったと思う。
Aちゃんは自分はレズビアンかもしれないのだ教えてくれた。正直セクマイについてはトランスのことを最低限しかわかっていなくて、レズビアンというのは女の人を好きになる女の人でよかったかな?とぼんやり思う程度だった。
そのうちにAちゃんの友だちのBちゃんが、自分は女ではないんだけど男になりたいわけでもないんだ~と教えてくれた。中性ってやつ?くらいの認識で、それをXジェンダーと言うというのは当時は知らなかった。
知らなかったけど、みんな性のことで悩んでいて、そこは同じだった。お互いのことを詳しくはわからないけれど、同じ悩みを持つ人が近くにいるのはとても心強いし、安心できた。相手を尊重し、肯定しよう、という雰囲気があった。それは他では得難い空気であり、かけがえのないものになった。
だから寮内にカップルがいても、いちゃいちゃしているのを茶化したりするだけで終わっていた。普通の学校じゃ、こんなことありえないはずだ。
セクマイが出てくる本の貸し借りをしたり、今まで好きになった子がみんな女の子なんだって話したり、セクマイについて得た情報を交換したり、そういうことができたのは僕にとって大きな救いだった。
長かった髪も2年生で短髪にした。中学校ではバレー部以外は女子が短髪にしているとおかしい、といわれる雰囲気だったからできなかったんだけど、ここでは大丈夫だろうと思いきって切ってみた。
ボーイッシュを通り越したベリーショート……。
周りの女の子たちの反応は上々で、かっこいいと言ってくれる子もいて、ここでは自分の思う性を表現していいのだ、と思えたことがとても良い経験になったと思っている。

2023年06月19日