かん子の連載

LGBTQ+の本棚から 第279回 遠回りしたら僕から・10

トランスジェンダーの林ユウキさんからの寄稿を数回に分けてご紹介しています。
※この寄稿文はブクログには掲載しません

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そんなある日、転機は訪れた。
何の興味もそそられない、古い本がただずらっと並ぶだけの書庫だった図書館を改装することになったのだという。
全国の学校図書館を改装して回っている人がいるのだと、国語科の先生が教えてくれた。
当日、図書館に現れたのは派手な髪の女の人だった。
先生とか、司書さんとか、そういう感じではない人。それが赤木先生との出会いだった。
赤木先生が新しい図書館に入れてくれた本は、多種多様だった。
卒業した小学校は校内に2つ図書館があるところだったけど、それとも全然違う。
最新なものから、古い名作まで、色んな本があった。今までの学校図書館には伝記と日本の歴史と「はだしのゲン」くらいしか漫画がなかったけど、漫画もたくさん入った。
写真集みたいな綺麗な図鑑、おしゃれな本棚、ふかふかのラグにかわいいぬいぐるみ。こんな図書館があってもいいんだととても感動した。
そしてそこに入った本の中にLGBTQに関する本があった。これらで僕はLGBTQについて初めて正しい知識を得た。
各セクマイの名称はもちろん、体の性とは別に、心の性(性自認)、性的指向があることを知った。
性自認というのは、体とは別に心の性を自分がどう認識しているか、ということ。
性的指向は自分が好きになる性のことだ。
ここで、僕は体の性は女で、性自認は男、性的指向は男性だとわかって自分を明確に定義できるようになり、とてもすっきりした。
それがハッキリしたことで今までの「体は女で男性が好きだけど、男として男性を好きになるから同性愛者になるってなんなんだ!」という頭の中がこんがらがる謎の矛盾みたいなものが解決した。
トランスと同性愛は両立するのだ!
本との出会いで自分が何かわからないという不安は大きく解消され、この世にはセクマイに関する本がたくさんあることを知った。それからはそれらをとにかく読み漁った。
セクマイ本の世界は広かった。漫画も小説もたくさんあって、同じように悩んできた人の体験談に、同性婚の実録本など、知らない世界が無数にあった。
その中で一番衝撃だったのは、性転換手術を受けにタイに行った人のレポートだった。「本当に体って心の性に寄せられるんだ!?」と。何度も読んでいたお気に入りの小説にそんな描写があって、手術の存在は知っていたけど、本当にできるんだと驚いた。それと同時に、やっぱり体を心に寄せるしか一致させる方法はないのかと悲しくなったりもしたけど。
そんな感じでいろいろ情報を得て、自分のことも明確に定義できるようになった。だけど「一刻も早く手術して男になるぞ!」とは意外にもならなかった。多分その当時の女子寮という環境と、誰にも否定されない恵まれた人間関係が影響していたと思う。
高校時代にしたことは性同一性障害の診断書を貰うことだけで、男になろうと本格的に思い始めたのは、高校を卒業して、大学に進学するために上京して、そこでうまくやっていけなかった時からだ。
高校の時と同じノリで受け入れてもらえると思っていた僕は、ゼミの新入生歓迎会で女の子の輪よりは男側に立っていたのだけど、「男なの?女なの?」と言われて言葉に詰まってしまった。「女ならあっち行きなよ」と言われたのはとてもショックだったけど、はたから見たらただの化粧っけのない女だったから当然といえば当然なのだけど。
そんなことがあってから少しして、男女どちらにも馴染めなかった僕は苦肉の策でゼミの全員の前でカミングアウトした。早まったと思う。カミングアウトは理解してくれる人を見極めて慎重にするものだ。大人数にするときは相応の覚悟を持ってしなければならないと身をもって知った。不発に終わったカミングアウトは、ますます浮く原因になってしまい、僕はすぐに大学に行けなくなってしまった。
LGBTQのサークルにも何度か顔を出してみたけれど、皆しっかりと自己を確立していて、まだふわふわとしていた僕はそこにも馴染めなかった。
人生二度目の不登校は笑えなかった。
どこにも居場所を作れず、休学。かといって祖父のいる実家にも帰りたくなく、東京に居続けるためになんとか頑張っていたバイトにすら行けなくなり、学校も退学。14歳の頃からずっと患っていたうつ病が悪化して、ただ生活することもままならなくなり結局地元に帰ることになった

2023年07月24日