かん子の連載

LGBTQ+の本棚から 第286回 遠回りしたら僕から・12

トランスジェンダーの林ユウキさんからの寄稿を数回に分けてご紹介しています。
※この寄稿文はブクログには掲載しません

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卒業後、もう一度国家試験を受ける気力はなく、僕はまたひきこもりになった。

しばらく立ち直れなくて、一日中寝ていたりしていた。うつ病も悪化して、全然頭が回らなくなって、物忘れがひどくなった。そうしているうちに時間だけが過ぎて社会復帰できる自信が全くなくなってしまった。
アルバイトから何か始めてみようかと思ったけれど、また失敗したら……と思うと踏み出せなかった。次にまた躓いたら、今度こそ生きる気力を失うと感じていたからだ。
そして長々とひきこもること2年、時間はあっという間に過ぎて、そろそろまずいぞと焦りがピークに達したときに僕はある決断をした。
精神障がい者手帳をとることにしたのだ。
というのも、精神障がい者手帳があると、A型事業所という障がい者支援施設で働けるようになるからだ。
父がA型事業所でサポートの仕事についており、その存在は以前から知っていた。けれど自分には関係ないことだと思っていた。
しかし、社会復帰が難しいこの状況を変えるのに、A型事業所に勤めるのはとてもいい案なのではないかとある日気づいたのだ。
頭が回らなくても、気分の浮き沈みがあって体調が安定しなくても、周りに理解がある環境であればやり直せるのではないかと。
そうひらめいてから僕はすぐに、障がい者手帳の申請をした。これは意外に簡単で、かかりつけの精神科医の診断書と申請書の提出で取得することができた。
申請から2か月くらいして、無事に手帳を手にすることができ、僕は事業所探しを始めた。
 A型事業所のほかに、B型事業所というところもあるのだが、B型はA型での就労が難しい人が選ぶところで、賃金はあまりもらえない。
 一方A型事業所は最低賃金が保証されている。ということで僕はA型事業所を選んだ。
 幸いにも自転車で10分のところに事業所が2つあり、見学の末、いい感じだなと感じたほうへ無事就労が決まった。
 就労が決まった事業所の男女比は9:1くらいで、年齢は40歳以上の方が多かった。障害の種類的には精神障がいの人が一番多くて、次に発達障がい、身体障がいといった感じだった。
 作業内容は単純作業が大半で、車の部品製造に使う謎の形のスポンジの型抜きとか、棒状のスポンジを100本数えながら袋に詰めるとか、100均の商品の梱包などがあった。
 就労時間は1日4時間で、上記の作業を淡々と行う。
 覚えることは少なくて、慣れたら結構うまく作業を進められたので褒められたりもして嬉しかった。下がりに下がった自己肯定感が少しずつ上がっていくのを感じた。無理のない仕事を無理のないペースでしていくことは、確実に僕の精神の安定の助けになってくれた。
 就労当初の目的であった、「休まず通う」も最初は少し大変な部分もあったが達成できた。
 そうして1か月ほどたって、僕の心境に大きな変化があった。
 単純作業は嫌いではないけれど、これを一生はやり続けられないだろうと思ったのである。これはとても前向きな変化で、このままではいけないと先を見られる余裕ができたことを表している。
 そこで僕は、1日の就業時間が4時間だけということを利用して何らかの資格を取ろうと決意した。履歴書に空白期間がある自分が就職するには、なんらかの資格が必要だと思ったからだ。しかし、就職につながるような資格を取ろうと思うと学校に通うのが必須だった。学校にもう一度通うお金はなく、なかなか難しい。
 そうした時、一度無かったことにした歯科技工の世界が少し魅力的に映った。
 学科の先生たちが尽力してくれたおかげで、学校は卒業していたので、あとは国家試験に合格すればいいというところまで来ていたからである。2年もたてば傷も少し癒えて、同級生も疎遠になっていたから、やり直すための条件もそろってきていた。
 そこで久々に恩師に連絡をとってみたところ、なんと合格までバックアップしてもらえることになった。もう一度技工士を目指してくれてうれしいと、手持ちに足りないテキストを貸し出してくれたり、模試を一緒に受けさせてもらえたり、とても助けていただいた。
 そうして10時~14時まで働いて、その帰りに図書館で勉強する生活を8か月ほど続けた結果、無事に国家試験に合格し、僕は歯科技工士の資格を手に入れた。

2023年09月25日