「アール・ブリュットが生まれるところ」というドキュメンタリー映画を見ました。
高知市に、藁工ミュージアムという、ハンディの人たちのアートを展示する場所があって、そこで「アール・ブリュットが生まれるところ」というドキュメンタリー映画を見ました。
 アール・ブリュット、というのは、まだ関係者のあいだでも混乱しているみたいですが、おおむね、美術的な訓練を受けてない人たちが作り出すアートをいうらしいです。
 らしい、というのは、この映画に登場するアーティストたちは全員ハンディのかたなのですが、美術的訓練を受けていない、という定義だけだと、アマチュアの人たちは全部ここに入ってしまうのではないか?と思うのですが、かといって、ハンディの人たちのアートだけをいうわけでもなさそうで、お話を聞いていて、定義がよくわからなかった。
プロではないが、一定水準以上のものをいうのか?
 レベルが高いものをいうのなら、プロとどこが違うのか?
 草間弥生はここに入るのか?
 草間弥生のアートは確かに限りなく洗練されてるけど、ハンディのアートだよね、あれ?
 でも、完成度が高いからハンディとはみなされない?
 ???
 フランスだかどこかで一生かかってがらくたみたいなものから塔をたててた有名な人がいるけど、彼はハンディとみなしてここにはいるのか?
 ??????
 というわけで、考えれば考えるほど混乱してきたのですが、映画のなかに登場してくるアートは本当に力強く、素晴らしかったです。
 お金と飾る場所(これが問題)さえあれば欲しいのがいくつもあった。
 まぁ、お掃除のできない人間は、持っちゃいけないしろものですがね。
 掃除が下手だと、アートとは無縁になりますな。
 とにかく埃がたまるものはイヤ、だから。
映画のあと、トークがあったのですが、聴いているあいだにまたまた次々にギモンが沸き起こりました。
 アートを通じて彼らの人間的復権をはかりたい、という気持ちはものすごくよくわかります。
 偏見を持った一般人に差別するな、というときには、彼らにわかる指標が必要でしょう。
 でもさ。
 たとえばハンディじゃない、とみなされている人々でも、素晴らしい声で歌えるから、と多数の人々から愛されても人間はやっていけないような気がする……。
 じゃあ、歌えなくなったらもういらないの?
 に、ならない?
 歌えなくても愛しているよ、といってくれる人がいないと、人間、やっぱりせつないんではないかい?
 だとしたら、こういう素晴らしい絵が描けるよ、といって評価されることは対外的には、排除する人は確実に減るだろうから、役に立つとは思う。
 そこでいろんな人とつながれるチャンスができるのも本当に大きい。
 それは本当に凄いことだよ。
 でも、こういう素晴らしい絵が描けるから素晴らしい人なんだよ、だから人間として見てください、っていっちゃっていいの???
 つきあえば、外じゃなく、中身を感じて本心から友達になれる。
 アートは有効な手段だね。
福岡の、アートをやって金を稼ごう、という話は素敵だった。
 障害者の絵です、といわないで、お金を稼ぐのはすてき!
妖怪ウォッチの社長が賛同してくれてて、ゲームのなかに使ってくれてる、という話も、へー、だった。
 妖怪ウォッチ、バンザイ!
ともあれ、有意義な午後でした。
 楽しかった。
 まだ売られていないので、見たいならどっか上映されてるチャンスをつかむしかないけど、見る値打ちはあるよ。
 チャンスあったら、見て!

