かん子の連載

☆楽しい学校図書館のすぐに役立つ小話☆彡【文学について・その3】

日本は明治維新で文化が変わりました。
「小説」という概念を確立したのは坪内逍遥ですが,その後,我はわれである、という近代的な小説で現代にも通じる作品を確立したのは夏目漱石です。
漱石は、近代化するということは、個と個の魂が切り離されて孤独になるということである。我々はこの孤独と淋しみに耐えなくてはならない、といいました。
そうして実際その通りになり、この問題はまだ解決されていません。
なので、漱石は現代小説の祖であり、未だに現役なのです。
文化や考え方が違ってしまうと共感できなくなります。
歌はともかく、いま、石川啄木の小説や、田山花袋、尾崎紅葉(名文ですが)、森鴎外に共感するのは難しい。
なので100年たってみたら
夏目漱石、芥川龍之介、太宰治(この二人は成熟できない若者、ヤングアダルトの代表で、漱石の長男と次男のようなものですから)しか現役ではなくなっていました。
そういうわけで、いま、私たちが文学を遡っていくと、漱石で止まります。
漱石の向こうには、普通に会得した読書術では行けません。
江戸時代の“、(てん)”と“。(まる)”がない、どこまでいっても切れ目がない文体を読むには訓練と知識が必要だからです(日文に入って毎日真面目に授業を聞いてれば、2年で読めるようになりますが)。
ですから普通は
「たけくらべ」
は読めない。
「山月記」
のほうがまだマシですが、
これも読むの、大変、という人は多いでしょう。
でもこれは現代文に分類されるんです。年代的には……。
漱石は建築家になろうとしたのですが、知り合いに建築より文学のほうが長生きする、といわれ、文学者になった人です。
そうして100年生きのびる文学を書きたいといい、実行しました。
漱石の命題を解決しない限り(そうしてこれは、人類に戦争をやめさせるにはどうすればいいか、と同じくらい大きな命題なので、解決できそうにないのですが)漱石はここ100年、そうしてこのあとおそらく永遠に現代文学なのです。

2023/03/16 更新