私の恩師シリーズ 3 <犬飼先生その二>
私の恩師シリーズ 3
 犬飼教授その2
私が犬飼先生に出会ったのは、法政大学に入ったとき、児童文学に関係してる人の授業は全部取ろうと思ったからだ。
 でも法政はもちろん法律と政治が中心で、児童文学なんぞまったくお呼びではなかったので、江戸の子どもの文化を追いかけてたアン・へリング、翻訳してた山口圭三郎、詩人の木島始、それと犬飼先生くらいしかいなかった。
 なのでとりあえず会うべくして会った、といえる。
 (といいつつ、なぜか学長には宮沢賢治の研究をしないとなれない、という変なジンクスがあったけど。)
 もちろんそれだけでは足りなかったので、青山の神宮輝夫とか、あちこちの大学にそれらしい授業をしてそうな人を探して出掛け始めた。
 学生、というのは世界共通パスポートだ、と思っていたので、学生のうちはそうしようと決めていたのだ。
 学生です、というだけでどこへでも行け、どの授業でも受けることができるのだから。
 まぁ、申し訳ないがモグリだけど……。
 先生の授業受けたいんですけど……といって嫌がる教師はまずいない。
 というわけで私はあまり、というか、ほとんど法政にはいなかった。
 そうやって自然に犬飼ゼミに流れ着いたのだが、一番良かったのは、犬飼教授が相当な変人だったことだ。
 私は生まれてからずっと、変な人だ、といわれ続けてきたのだが、どこが変なのかは誰も教えてくれなかったので、私にはいつも漠然とした不安があった。
 私は他人のことは気にできないのでたいしてあったわけじゃないけど、ほんの少しは……。
 でも、ここに、私なんかよりはるかに“変な”人がいる!
 変でいいんじゃん!
 というのは一種の感動だったのだ。
 金があって、大学教授ならば……。
 実際、犬飼先生の話なら面白い!というタイトルで何冊でも本が書けるほど、犬飼さんに関するエピソードは枚挙にいとまがない。
たとえば……。
 先生は車のバックの運転ができなかった……。
 な~の~に~、オートマではなく、マニュアルを買うのだ!
 何度もオートマにしてくれ、と頼んだのだが、これがいいのよ、といいはってきかない(先生にはおネエことばでしゃべる、という変な癖もあった)。
 なのに、趣味が岩魚釣りなので山のなかに入っていく。
 一度お昼時だったので山からトラックが降りてきたのとぶつかり、バックができないのでえんえんとそのトラックを押し戻したのよ、という話をしてくれたときがあって、私たちは全員、あぁ、その場にいなくてよかった……と思ったと思う。
 だからそれから僕はお昼に山に入るのはやめたのよ、と、先生は人生の悟りを開いた達人のようなことを、得意気にいってのけた。
 そうじゃないでしょ!
 バックできるように練習する、もんでしょう!
 運転できないなら山のなかなんか入るな!
 じゃないんですかぁ?
そんなはた迷惑な!!
 といったらまたもや得意気に、だからいつも車には煙草🚬が一カートン積んであるのよ、という始末……。
 だって赤木君、できないものはできないのよ(バックがね)と先生は意気揚々といってのけたものだ。
 まぁそうね、確かに……。
 向いてないことはできないわね……。
 でも学校の教師に、向いてないからやんない、と堂々といわれたのは始めてで、素直な私はすぐに、感化されて、努力というものはしなくなった。
というわけで、予想済みだと思いますが、四回目に続く……。

