かん子の連載

_/_/_/・_・)o 図書館づくりのエトセトラ・011 

【文学の分類・1】

文学の分類は
いろんな人がいろんな説を唱えていますが、おおむね
中世文学(江戸以前)
近世文学(江戸時代)
現代文学(明治以降)
と思って構わないと思います。
明治時代は1912年まで続きましたが、文学としては、
1890年に若松賤子が「小公子」を翻訳し、言文一致体を作りました。
「セドリックはなんにも知りませんかった。おっとさんとおっかさんが……」
という文章は、いまでも楽に読めます。
それに比べると樋口一葉の「たけくらべ」は1896年とそのあとになりますが、この有名な書き出し
「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦いへもなく……」
という、どこまでいったら“。”があるの?
という文体は、今となっては訓練されないと読めないでしょう。
名文ですが……。

というわけで、現在の現代文学は1906年の夏目漱石の「吾輩は猫である」から始まるわけですが、NDCが作られた1929年には、1916年に亡くなりましたが、夏目漱石は現役の(見方によっては今でもそうですが)作家だったのです。
というより、当たり前ですが1929年より先はまだなかった。
なので
現代文学 913.7
までは分類しても、その先の時代の分類はありません。

でもそれから100年経ってしまった!!

そのあいだにはやはり何回か変化があったので、1929年以降の文学を全部いっしょくたにして作家の名前順にすると、うーむ、という棚が出来上がります。
でもそれが、NDC的には正しい、分類なのです。

児童書は、児童室が公共図書館内にできて、分けておくことになりましたが、児童書、という分類はNDCにはないので、K、という別置記号をもらって分類することになりました。

そうして同じKのなかでも、幼年文学と高学年は分けたい!と誰もが思ったわけです。

人々がそう感じる、というのは、これとこれは違う、という違和感を抱くからです。

では幼年文学とはなにか、というと、低学年が読むもの、という定義になるでしょうが、ではその中身をもっと具体的にいうとどうなるかというと
“主人公が劇的に成長しないもの”
になります。
ちょっと成長するのはいい。
現実の二年生がついていけるくらいなら。
でも、うんと成長してしまうと、現実の子どもたちはそう簡単に成長できませんから置いてきぼりをくってしまいます。
だから、ドラえもんののび太くんやゾロリは、成長しない、同じ失敗を延々と繰り返すのです。

高学年の文学はちょっと成長する。ただし大人にはならない。
五年生が六年生になるのが高学年の文学でした。

2023/12/06 更新